2010年06月27日
尾岱沼の嵐 3
尾岱沼漁協の短期アルバイトも終わって
ほっとした夕刻 笊に一杯の 湯でエビを持ってきてくれた。
それは北海縞エビという 尾岱沼の特産品で もちろん生でも美味しいが
湯でエビは この地方では酒の肴に欠かせない 絶品!!
アルバイトの給料も余分にいただいて なんとか東京に帰れると
少し気持ちの余裕が出たので 久しぶりに酒屋に出かける。
キャンプでは10月ともなると 夜は寒い
ビールくらい買えれば良かったが それは贅沢というもの。
ユースホステルも ビールに近い贅沢に思えた。
北海道に入って覚えたのは《ゴードー》
合同酒精の 甲類焼酎だったと思うのですが
最初は 我慢して寒さよけに飲み始めたのが 寒さや恐怖が増すにつれ
ゴードー無しの 夜は考えられなくなり
懐具合で ゴードーすら買えなくなると 身も心も冷え冷え
がぶがぶ飲む訳でなく 節約しながら体を温める薬と思って飲んでいた。
しまえびに 久しぶりのゴードー 贅沢したなあ
何かの拍子にこちらのマーケットで 懐かしいゴードーを見つけて つい買ってしまたことがある。
予想通り それは 懐かしい味だったが 贅沢に浸った者には けっして美味しいものではなかった。
だが北の国では 寒さや恐怖に震える夜のゴードーほど 頼りになる奴はなかった。
褒美に連れてってやると言ったのは
オホーツクに 秋鯵漁に連れていくという事だった。
北海道 特にこの辺では 鮭を 秋鯵(あきあじ)という。
大村さんはただのキャンプ村管理人ではなく
秋鯵漁の船を持って 漁師を束ねる人だったのだ。
バイクに乗って ただ旅するだけでは絶対味わえなかった
オホーツクに出て 鮭漁をするなんて
それを聞いて 小躍りして僕は喜んだ。
僕は生来 船酔いにはめっぽう強く
どんなに周りが 船酔いに苦しめられても 大丈夫な人だと
数々の経験から 自負していたから その漁も絶好の体験と思った。
ワクワクしながら 海の男たちに混じって浜を出た。
しばらく行くと 波頭の向こうを指して「ロスケだ、ロスケだ」と目の色を変える。
当時はまだソ連と言ったが 白っぽい監視艇が波間に見え隠れしている。
そういうところに 僕らはいるのだ。
ニュース番組の中のはるかな話と思っていたものが 目と鼻の先にあった。
知床の 羅臼岳山頂から見た国後も ソ連にではなく すぐ目の前に横たわっていた。
北海道とはそういうところなのだ。
「今日は随分近い所に来てやがる。」という漁師の言葉に
得体のしれない国の圧力を感じたが
それよりもっと切実な身の危険を感じ始めていた。
波しぶきが ザンブザンブとかかる甲板は
網を引き上げる都合で 縁などほとんどなく
エンジンルームの壁に しがみつくしかないのだ。
他の漁師さんたちはと言えば
両腕をむんずと前に組んで
船べりに すっくと仁王立ちして波を蹴散らしている。
カッコいいったらない が
自分はそれどころじゃない 海に投げ出されないように
壁の僅かな突起を探して 全力でしがみついてるしかない。
さもありなんと 漁師たちは目で笑っているが 情けない。
網を仕掛けた漁場に到着と同時に 掛け声で一気に引きあげが始まる。
凄い勢いで秋鯵達が 甲板に上がって来るが
漁師たちはその間 どこに捉まっているわけではない。
網と秋鯵とただそれだけの事なのに 僕は何もできないで壁にしがみつくばかりだ。
せっかく連れて来てもらったのに 手伝い一つできないとは情けない。
意を決して片手で 近くに飛んできた秋鯵を必死でつかんで水槽に投げ込んだが
オスとメスをあの戦いの中で彼らはしっかり識別し 投げ込んでいたらしく
叱られて よしだった。 たははっ
海の男たちは 実にカッコいい
引き上げ終わると きびすを返して浜に戻る。
今日は まずまずの漁だったらしい。
行きがけから嫌な予感はあって
引きあげ最中は そちらに気が張っていて何とかなったが
帰りは一気に酔って酔って 目が回るという初めての経験をした。
船酔いとはこういうものかと 初めて知ったが
台風の後でうねりがあったからと 大村さんに慰められた。
しかしその後3日間 船酔いは治まらず 目が回ったままで 笑いの種にされた。
その後 操業船拿捕のニュースが流れる度に あの時の事を思い出す。
荒れ狂う北の海の上の国境なんて なんと危ういものだろう。
国の境を気にすることなく暮らせる幸せに 感謝しよう。
ほっとした夕刻 笊に一杯の 湯でエビを持ってきてくれた。
それは北海縞エビという 尾岱沼の特産品で もちろん生でも美味しいが
湯でエビは この地方では酒の肴に欠かせない 絶品!!
アルバイトの給料も余分にいただいて なんとか東京に帰れると
少し気持ちの余裕が出たので 久しぶりに酒屋に出かける。
キャンプでは10月ともなると 夜は寒い
ビールくらい買えれば良かったが それは贅沢というもの。
ユースホステルも ビールに近い贅沢に思えた。
北海道に入って覚えたのは《ゴードー》
合同酒精の 甲類焼酎だったと思うのですが
最初は 我慢して寒さよけに飲み始めたのが 寒さや恐怖が増すにつれ
ゴードー無しの 夜は考えられなくなり
懐具合で ゴードーすら買えなくなると 身も心も冷え冷え
がぶがぶ飲む訳でなく 節約しながら体を温める薬と思って飲んでいた。
しまえびに 久しぶりのゴードー 贅沢したなあ
何かの拍子にこちらのマーケットで 懐かしいゴードーを見つけて つい買ってしまたことがある。
予想通り それは 懐かしい味だったが 贅沢に浸った者には けっして美味しいものではなかった。
だが北の国では 寒さや恐怖に震える夜のゴードーほど 頼りになる奴はなかった。
褒美に連れてってやると言ったのは
オホーツクに 秋鯵漁に連れていくという事だった。
北海道 特にこの辺では 鮭を 秋鯵(あきあじ)という。
大村さんはただのキャンプ村管理人ではなく
秋鯵漁の船を持って 漁師を束ねる人だったのだ。
バイクに乗って ただ旅するだけでは絶対味わえなかった
オホーツクに出て 鮭漁をするなんて
それを聞いて 小躍りして僕は喜んだ。
僕は生来 船酔いにはめっぽう強く
どんなに周りが 船酔いに苦しめられても 大丈夫な人だと
数々の経験から 自負していたから その漁も絶好の体験と思った。
ワクワクしながら 海の男たちに混じって浜を出た。
しばらく行くと 波頭の向こうを指して「ロスケだ、ロスケだ」と目の色を変える。
当時はまだソ連と言ったが 白っぽい監視艇が波間に見え隠れしている。
そういうところに 僕らはいるのだ。
ニュース番組の中のはるかな話と思っていたものが 目と鼻の先にあった。
知床の 羅臼岳山頂から見た国後も ソ連にではなく すぐ目の前に横たわっていた。
北海道とはそういうところなのだ。
「今日は随分近い所に来てやがる。」という漁師の言葉に
得体のしれない国の圧力を感じたが
それよりもっと切実な身の危険を感じ始めていた。
波しぶきが ザンブザンブとかかる甲板は
網を引き上げる都合で 縁などほとんどなく
エンジンルームの壁に しがみつくしかないのだ。
他の漁師さんたちはと言えば
両腕をむんずと前に組んで
船べりに すっくと仁王立ちして波を蹴散らしている。
カッコいいったらない が
自分はそれどころじゃない 海に投げ出されないように
壁の僅かな突起を探して 全力でしがみついてるしかない。
さもありなんと 漁師たちは目で笑っているが 情けない。
網を仕掛けた漁場に到着と同時に 掛け声で一気に引きあげが始まる。
凄い勢いで秋鯵達が 甲板に上がって来るが
漁師たちはその間 どこに捉まっているわけではない。
網と秋鯵とただそれだけの事なのに 僕は何もできないで壁にしがみつくばかりだ。
せっかく連れて来てもらったのに 手伝い一つできないとは情けない。
意を決して片手で 近くに飛んできた秋鯵を必死でつかんで水槽に投げ込んだが
オスとメスをあの戦いの中で彼らはしっかり識別し 投げ込んでいたらしく
叱られて よしだった。 たははっ
海の男たちは 実にカッコいい
引き上げ終わると きびすを返して浜に戻る。
今日は まずまずの漁だったらしい。
行きがけから嫌な予感はあって
引きあげ最中は そちらに気が張っていて何とかなったが
帰りは一気に酔って酔って 目が回るという初めての経験をした。
船酔いとはこういうものかと 初めて知ったが
台風の後でうねりがあったからと 大村さんに慰められた。
しかしその後3日間 船酔いは治まらず 目が回ったままで 笑いの種にされた。
その後 操業船拿捕のニュースが流れる度に あの時の事を思い出す。
荒れ狂う北の海の上の国境なんて なんと危ういものだろう。
国の境を気にすることなく暮らせる幸せに 感謝しよう。
Posted by げんきくん at 19:06│Comments(0)
│昔話・北海道