2010年06月27日

尾岱沼の嵐 1

貴重な 北海道での台風体験その2
 
江差カモメ島での貴重な体験は その後のキャンプ設営に活かされた。

かといって やはり雨中のキャンプほど 心もとないものはない。
 風も雨も フライシートとインナーの布二枚で遮っているだけだから
 よく言えば自然空間と ほぼ一体化した体験ができ
 悪く言えば ほとんど無防備な 雨ざらし状態の体験となる。

知床のキャンプ場では 季節外れとあって 周りに人の気配は全くなく
 墓地がすぐ隣で 夜中にゴソゴソ音がするから 恐々覗くと
 オオカミじゃないかと勘違いしそうな 大きいキツネがテントの周りを探っていて
 追っ払っていいものか 静かにやり過ごしたらいいものか
 念仏唱えて散々迷っているうちに 退散してくれた。

 念仏は 効果あるのだ。



礼文 利尻からずっと南下して 知床 尾岱沼に辿り着いた頃には
 東京まで帰るガソリン代すら 無くなった状況で
 ユースホステルに泊って 風呂に入るとか
 人恋しさを紛らわせるなんて不可能な窮地に追い込まれていた。

 そんな状況でも あちらこちらを見た回りたい気持ちは衰えず
 尾岱沼にあるキャンプ場に入り込んで 探索しながらも
 アルバイト探しを本気で考えた。

 キャンプ場の管理人さんは大村さんと言う元気なご老人で
 奥さんと二人 管理人室に寝泊まりしては 面倒を見てくれていた。

 そこに時々 近くに暮らす小学生のお孫さんがやって来る。
 思えばあの可愛いお孫さん達も 今では40歳のおじさんおばさんになっている計算だ。

キャンプ場には 季節外れで僕しかおらず
 大村さんと仲良くなって バイトの件を相談してみた。

 早速 大村さんは動いてくれ ホタテ養殖の仕事を紹介してくれた。
 翌朝 バスが迎えに来てくれ 地元のおばさんたちに交じって養殖場へ

 最初に 飛び込みだし短期で慣れないから 時給も安いけど我慢しろよと念を押された。

右も左も判らぬまま 手慣れたおばちゃんたちの真似をしながら
 懸命に溶け込む努力をした。

数張りのテントが並び 持ち込まれたホタテの稚魚ならぬ稚貝を
 女衆が 養育用のネットにセットして 海の男衆が 沖に船で移す。
 
 ホタテの稚貝は小指の先くらいの大きさで
 水樽の中を 愉快にひらひら泳いでいた。
 ツーリング用の雨具(カッパ)は一日で 磯臭くなった。

 昼飯はテントごとに 仲の良いおばちゃんたちが輪になって
 賑やかに始まり 僕も仲間に入れてもらった。

 昼食代も心もとない僕は 昨夜炊いたご飯の残りをにぎりにして
 おばちゃんたちの笑顔をおかずに ひと時を過ごす。
 夕方になるとまたみんな磯の匂いを連れてバスに乗せられ自分の方面に帰っていく。

次の日から 多分見かねたおばちゃんたちは
 僕のために昼ご飯を作って来てくれ
 あるいは 煮物だ 筋子だ 秋鯵だと持ちよってくれて
 お腹より先に 胸がいっぱいになる。
 
東京から来た 見ず知らずの浮浪者もどきに 北の人達はみな親切で

 あっという間に 作業期間は終わりを告げ
 元気で帰るだよと 別れを惜しんでくれた。

 漁協に挨拶に行くと 課長さんが
 「頑張ったな、無事に帰れよ」と ベテランさんと同じ時給で給料をくれ
 しかも 余分に餞別まで付けてくれた。
 なんという 有り難さ!!! 

管理人の大村さんに報告すると ニコニコ笑って
 都会の若者らしからぬ働きぶりで 紹介したオレも感謝されたと労われた。


オレも褒美に 良いとこ連れてったやる 楽しみにしとけ

えっ 何々?? 何処 何処??
それは 数日後 嵐の後にやって来た。


タグ :尾岱沼

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