2011年02月15日

伊東忠太展

伊東忠太展

店内工事も 今日は午前中で職人さんが帰り
 かといって 店を開けられるわけでもなく
 貯まった仕事をしたり
 かかってくる電話に応対したり
 臨時休業を知らずに訪ねてくださるお客さんに
 お詫びをしたりと
 それなりに忙しいが

思い出したように
 ブログと 携帯サイトのHPを更新する。
 携帯サイトなど QRコードで開くと
 去年の夏の話題で 時間が止まってしまっている。
 あら 恥ずかし!!

できる範囲で 急遽 更新
 久しぶりに HPビルダーを開いても
 しっかり使い方を 忘れてしまっていて ここは青春らしからぬ

アイスケーキは別ブログサイト
 《今どきのジェラート》に譲るとして
 伊東忠太 可睡斎護国塔100年展について
 少しご紹介しようかと思う


可睡斎は 曹洞宗の禅寺で
 お坊さんの資格をとるための施設でもあり
 全国から そのための修行にお坊さんが集まったりもする。

 明治期からは 政治の影響で 
 秋葉三尺坊様のご神体をお奉りすることになり 
 秋葉総本殿という肩書も 持つようになるのですが

袋井の市民の多くが一度は目にした事がある?はずの
《護国塔》が西脇の丘の上にそびえている。

 それは白色に仕上げられた 鉄筋コンクリート作りの風体は
 およそ 日本古来の寺院の形状とはかけ離れている。

その護国塔は県の指定文化財にもなっているのですが
 いったい何なのか ご存知の方は少ないと思うのです。


たまたま 数年前 本殿の前に新たな山門が建てられました。
 その記事は しばらく前のブログでも紹介しているのですが

 山門は 伊東忠太博士の図面を基にしたもので
 費用や時代背景などなどの諸問題によって 博士の図面通りには完成できなかったものの
 当時の関係者が博士の意匠になるべく近づけようとした作品であり
 そもそも 檀家さんとの関係で 忠太作品のほとんどが 
 最初の意匠通りには完成されていない事実からすれば 
 彼の死後 偶然見つかった図面が 形を成した奇跡と捉えた方がいいでしょう。

景気低迷のどん底にあった時期 しかも平成10年に 60年に一度の御開帳大祭に
 たくさんの寄付をしたばかりの檀家さんたちにとって
 10年も経たない内の 更なる負担は厳しすぎるお達しだったに違いありません。

 ですから 伊東忠太がどんな人物で
 見つかった図面が どんなに貴重なものなのか どんなに説いたところで
 彼らにとって重要なのは生活を圧迫する費用負担であって
 それは 充分理解できるし 仕方のない事だったのです。

 建ってしまった今頃になって
 『忠太の図面に少しでも忠実にしておけばよかった』なんて嘆いたところで 
 あとの祭りとは この事を言うのですが・・・
 残念と言えば残念 仕方なしと言えば仕方なし。


当時駆けつけてくれた 忠太研究の若手の第一人者《倉方俊輔教授》とご縁が出来て
 護国塔建立100年に何か仕掛けられたらいいねなんて 話題にしながらも
 教授を除けば そんなこんなで 僕の周りには
 その100年目をなんとかしようなんて人物は
 どんなに熱く語っても理解してくれる人は現れず
 ほぼ99%諦めていたところ
 偶然と言うか 必然というか去年の暮れに当時唯一の理解者と遭遇したわけです。


そうそう その前に 伊東忠太を紹介すべきですね
 忠太は 夏目漱石と同年代 東京帝大に学んだ人物
 平安神宮、明治神宮、一橋大学兼松講堂、大倉集古館、築地本願寺などの代表作で知られ
 ギリシャパルテノンのエンタシスと 法隆寺のエンタシス柱の関連を説いた 人物。
 日本に《建築》という言葉を定着させる役割も果たしました。

 僕が一番彼にひかれるのは 当時 ほとんどの学者が欧米に旅立つ常識や政策に逆らって
 日本の文化の源泉をたどるため 
 中国、インド、ペルシャへと3年半の留学に出かけてしまうことです。
 その時の スケッチブックや乾版写真はたいへん貴重な資料で
 東大の資料室などに 大切に保存されています。
 世界遺産になっている雲岡石窟もその際 彼が発見し世の中に広めています。

 妖怪の世界にも精通し きっかいな妖怪スケッチは ゲゲゲの先輩。
 それらをモチーフにした 忠太の狛犬や造作物のファンは日増しに増加して
 建築界のみならずの拡がりを見せ その手の本は完売 高値でも手に入らない状態なのです。

忠太は大衆化された著名人ではないにしても 最近彼を扱ったTV番組がいくつか作られ
 彼の生きざまを 面白いと評価する 知識人が増えている事は確かです。
 もちろん建築や建築史を学ぶ人間にとっては 何を今さらという事でしょうが
 もっともっと多くの一般人に 彼の魅力を知ってもらう事は意義ある事だと感じています。

素人ですから 解説は専門家に任すとして 
 建築の専門家でもない僕が こんなに夢中になるくらいだから
 よほど面白い人なんだと 御理解下さい。

つぎのブログに 護国塔の案内は つづきます。

*******



建立100年を記念して
 伊東忠太 可睡斎護国塔100年展が 
 この一年間をかけて 催されます。
 11月下旬に 展示会を おそらく可睡斎にて行うのですが
 それまでの期間中 教授のご協力をいただき
 数回の忠太講座や 作品見学会を計画しています。

多くの理解者を増やす為の第一弾
 記念講演会は
 3月12日(土)14:00より

 倉方俊輔教授を講師にお招きし
 伊東忠太を知っていますか? と題して開かれます。

 参加費は無料ですが 資料代として500円いただきます。

 参加希望者は 私のメールにでも

 可睡斎のメールinfo@kasuisai.or.jp
またはFAX 0538-42-1429 に お申し込みください。
 定員100人位をめどにしていますが 
 希望者が多い場合は先着順とさせていただきます。



同じカテゴリー(つれづれサロン)の記事
白い冬の使者たち
白い冬の使者たち(2018-11-05 15:25)

台風21号接近の為
台風21号接近の為(2018-09-04 16:12)

8月16日定休日
8月16日定休日(2018-08-15 15:34)


この記事へのコメント
お久しぶりです。

伊東忠太展 ぜひ参加したいです。
よろしくお願いいたします。

伊東忠太・・・名前は聞いたことがあったのですが、どんな建物を設計したのか知らなかったです。 可睡斎にも関わりがあったんですね・・・
面白そうです。
Posted by reboxrebox at 2011年02月15日 21:31
>reboxさん
御無沙汰して 申し訳ございません。
早速 申し込みありがとうございます。
忠太も面白いですが もう一人の立役者
東京駅の構造設計 佐野利器との初期の共同作品というのも 護国塔の 味噌です。倉方さんの話もたいへん判り易くファンになること請け合いですよ。 
Posted by げんき at 2011年02月15日 22:16
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
伊東忠太展
    コメント(2)