2011年09月10日
震災の日2
台風12号の影響で 可睡斎ののぼり旗も大きなきしみ音をたて
バッタバタと千切れんばかりに はためいていた。
うちの自治体は この20年で爆発的に大世帯へと変化した。
市の宅地整備事業の一端で 僕たちの遊び場だった 田や畑 林や野原が宅地に変わり
知らない人たちがどんどん流入し おかげでこんな田舎にも
コンビニができ 本屋ができ お医者さんもやってきて マックスバリューまで出現するに至った。
まさかこんな便利なところになるなんて夢のような話だ。
(もっとも 本当の街人からすればまだまだ辺鄙で不便な田舎には違いないが)
「お前たちゃ カエルの歌聞いて のんびりしてるからこんな簡単な問題も出来ん!」と
おれたちに向って ひどい叱り方をした先生を思い出すが
そのくらいのんびりした田舎を絵に描いたようなところで
全世帯が小さな小さな集会場に集まって ガヤガヤ合議する
良く言えばとても穏やかな 悪く言えば田舎もんばかりの場所だったのに
今じゃ 以前の何倍もある立派な自治会館に 各班から総代を100人規模で集めて
議長や書記、議事録署名人まで置いての本格的な協議、総会が開かれる。
初めて 班の回り番で総代会に出席した時
予想を覆して
まるで市議会並みの進行に圧倒されたものだった。
世帯数が多くなって組織が大きくなり 種々雑多な人間が集まった時
やはりこういうやり方に変化していくのは いたしかたない事とは理解するが
血が通わなくなって しもやけ状態を感じずにはいられなかった。
世帯数が増え 色々な職業の人間が集まってくれば
当然その中に 県庁だの市役所だの行政に携わる人間も含まれ
役人意識で自治会が染まって行くのは 想像に易い。
確かに役所のルールにも良いところはあるが
お役人というか公務員というか
そういう方達には大変失礼ではあるが
辞書にも「お役所仕事」とか「お役所的」「役人根性」とかあるように
あまり良い意味で「お役所」が庶民には使われていない。
辞書に出てくるくらいだから
これは僕だけの私感ではなく広く一般に知れ渡った事実なのだろう。
機械的とか おざなりとか 杓子定規、血が通わないとかが同義語として使われる。
たくさんの人間をまとめていくには そうも言っていられないというのが
そこにトップリ漬かった人間の言い草だが
生活の場の末端組織では なるべく血の通った対応が望まれる。
そもそも、それが自治体のあるべき姿ではなかろうか。
無責任な発言は慎み 個のわがままがは全体の都合にすり寄せられていく。
100名以上のの前で挙手し班名、氏名を名乗って議事録に記録され
自分の意見を言うには かなりの度胸がいる。
小学生の頃から全校生徒 千名以上の前に立たされて
議長だの進行役だの 無理やりやらされていたので
髭づらのこわおもてでも 百人や二百人の前くらいなら
自分の意見を言うのに 全く怯む事もないのだけれど
無事に議案を通過させて 早く帰って
酒飲みながらテレビでも見たい連中を相手に
それはちょっと違うんじゃないかと言い出すのは勇気がいる。
あちこちから小さな
しかし、しっかり聞こえるくらいの舌打ちが
気を滅入らせる。
一気に世帯数が爆発的に増えたことで
やはりあちこちに無理がきているのだ。
国の責任者が 国民一人一人のためにと唸ったところで
所詮 それは末端にまでは届かない
そのために 県政があり そのまた下に市政がある。
袋井市など浅羽と合併しても八万人規模の市だけれど
磐田市、掛川市などそんなに大きくしちゃってどうかな?
ましてや政令指定都市となった浜松など
当然、そうなった恩恵もたくさんあろうが
問題点もたくさんあると聞いている。
ようするに組織が大きくなればなるほど
末端まで血液が上手に循環しなくなりがちなのだ。
一人っ子の家庭では これでもかという程目が届き 手も届くが
十人兄弟の家庭では 一人や二人軌道を外れていたところで
まあ いいってことよと ざっくばらんが許されると同時に
目も行き届かなくなり 危険も隣り合わせなのは 仕方ない事なのだ。
近頃の大きな災害のどれをとっても
一度に大規模な被害がおこることが多く
そうなると 県や市の指示や救済を待っていたら間に合わない。
救急車や消防車だって どこだって真っ先に来てほしいが
数に限りがあって 一斉多発的な災害時には
絵に描いた訓練のようには絶対いくはずが無いのだ。
自治会や班組織が 自主的に判断し助け合う体制を失くしては
助かる命も 助からなくなる
いにしえの人は そいう非常の際の助け合いの基礎になる仕組みを
上手に生活の中に取り入れてくれていたのだ。
祭とか 奉仕活動とか運動会とか
日頃の隣近所のお付き合いは 現在ではとかく煙たかられるが
回覧板一つにしても どこかでつかえて戻ってこなければ
それはどこかに異常が発生した事を気付かせる仕組みなのだ。
うちの地区には昔からおばあちゃん達が
毎月各戸回り番で『おどうげんさん』と言ってご詠歌を
お茶菓子を用意して夜集まり 唱える習慣があったが
きっとこれも お年寄りどおし
情報交換と無事を確認し合う仕組みの一つだったのだろう。
でもこの風習も世代が変わるごとに出席者が減り
宗教うんぬんをうるさく言う族が増えて消滅してしまったようだ。
つづく