護国塔100年展

げんきくん

2011年03月05日 17:23



携帯のカメラのせいでなく
 撮り方の問題で 良いアングルに撮れなかった。
 可睡斎護国塔の 西側壁面です。
 
数日前の100年展実行委員会で
 護国塔の内部に入れさせてもらった。
 内部には 痛ましい戦争の重みが詰まっており
 とても カメラを向ける気持ちになれなかった。

正面の石段を登ると 木製扉が施錠されており
 その奥には位牌や遺骨 遺品などが祀られている。

 裏に回って別の扉をあけると
 もうその中には 別世界が広がる
 英霊の魂が 深い息をして眠っておられる。
 とても カメラなど向けられない。
 荒野に倒れた たくさんの兵隊さんの思いが渦巻いている気がしてならない。
 
 
 100年前 日露戦争の際の戦没者供養のために建てられた塔だが
 ざっと確認した限りでは太平洋戦争時の遺品がほとんどだったように思う。
 前の大戦のご遺族や関係者たちも高齢化して
 毎年9月に行われる慰霊祭の出席者も激減してしまったそうだから
 100年も前のご供養が 形式化してしまう事も仕方のない事かと思が
 碑文には 永く忠義の英霊を供養しましょうと刻まれている。


ただ 今回の伊東忠太 可睡斎護国塔100年展は
 忠太に特化した建築史的な興味からスタートしたのだが
 遠藤実行委員長の思い入れで 脇に立つ石碑を読み解く作業につれ
 護国塔建立の意味合いが並行して深く響いてくるようになった。


行政や各種団体の後援や協賛をいただくには 宗教色が問題視され
 なるべく 建築とか歴史とか文化に主眼を置いたテーマを揚げなくてはいけないのだが
 そもそも、日本人の近代の歴史に目を背けてきた社会の歪みは
 簡単には修正できないところまで来ていると思う。


先の戦争の責任とか経緯とかに蓋をしてしまうことによって
 いつの間にか 善からぬ賛美者が都合のよい情報だけを集めて
 不穏な空気を醸し出し始める。

最近NHKが 日本が戦争へと突入していった経緯を
 色々な視点から 検証してくれている。
 もちろん これがすべてではないにしろ
 歴史を紐解く努力は 今後のこの国の方向性にとって大切だ。

 歴史の当事者たちは 徐々に減り しかも多角的な視点から捉えないと
 偏って 歪んだ歴史を 都合いいように作文することになり
 危険極まりない。

世の中の仕組みや歴史をを伏せたまま
 ただ、戦争はいけないの一点張りでは  
 どうしたら防げるか どういう危険性があるのか
 学ばないまま 同じ苦い歴史を繰り返すことになってしまう。


戦争はいけない 核兵器は根絶しなくてはと 全世界が共通認識を持てたなら
 本当の平和が訪れるだろうが
 こうしている間にも この同じ地球上で、同じ時間に人と人が殺し合う戦争が止まないでいる。
 
黒船が来た前後も 近隣アジアは欧米の食い物にされる危険にさらされ
 多くの国が長く苦しい植民地の経験を余儀なくされた。
 そして征服者たちの都合いい言葉で歴史が 書き換えられた。

この国の施策が正当だったかは 判断が難しいが
 ここ最近のニュースは
 北方領土にロシアが迫り
 尖閣諸島に中国が干渉する事をつげ 焦げ臭いが
 もっと露骨な挑発が100年昔には 世界中で頻発していた。

 そのために たくさんの国民が徴兵され見知らぬ土地で
 屍をさらす悲劇を被った。
 勝って戻って 褒美をもらい 栄誉を与えられたたくさんの軍人の陰で

 国に戻れぬまま 朽ちていく名も無き兵士たちの遺骸を
 日置黙仙という和尚さんが大陸を廻って国に持ち帰り ご供養したのが
 この護国塔の本来の目的だった。

 その後 軍人たちによって戦意高揚のために利用された経緯もあるが
 この国を守るための作戦にかりだされて 死んでいったたくさんのご先祖さんを
 ご供養することに 何の遠慮もいらないのではないだろうか
 靖国神社の問題と 一緒にしてはいけないと思う。

難解の石碑を ああでもないこうでもないと たくさんの人に関わってもらって読み解くうち
 この100年展の もう一つの意義が 僕の中には生まれている。
 
日置黙仙という僧侶 その遺志を引き継ぎ 再び大陸を巡った秋野孝道老師
 二人とも曹洞宗では 偉大な人物として語り継がれているが
 大正5年を前後して この可睡斎で 斎主さんとして 護国塔をお祀りしてくれている。

 徐々に忘れ去られつつある 少し前のご先祖様たちの事を
 この護国塔が 少しだけ気づかせてくれた。

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