2012年03月13日

土筆の大群



寒さが ぶり返した。
 朝一 先輩のお菓子屋さん 山梨の《 辻本 》さんへ
 ホワイトデー用に いちご大福を買いに走る。
  ( 明日会えない人には 今日渡してしまうのだ )

昼頃いっても いつも売切れて 「 ごめんねー 」と言われてよし
 ここのいちご大福は 世辞抜きに 美味しい。

 
 いつもは ついつい長話の花が咲いて
 数時間の長居になるが 
 お互い 今日はそれどころじゃない
 じゃあ がんばってねえ と声かけ合って店を出る。

 北側の駐車場の一角に 手押しポンプの井戸がある
 手水の水が 凍っている 
 明日は ホワイトデー だというのに

店に戻って 駐車場からの道端で 土筆発見 

 

 

あくせくしているうちに 土筆が伸びてる
 もうしばらく前から 出てきていたのだろうに
 まったく気付かず 通り過ぎていた。
 
 もう少し余裕の持てる 生活がいいなあ


寒さが戻ったとはいえ
 やはり昼間は 暖かく お客さんでバタバタする
 今日も 色々な お客様で 楽しい一日だった。

 夕方 とある外資系の会社に 配達で出かける。
 いつものドアを開けて中に入ると
 みんなデスクに向って 真剣な面持ち。

 遠慮がちに 担当の方を呼んでいただいて
 受領サインをいただく。

 部屋に入ってすぐ感じたまま 

 「外資系だけあって さすがに外人が多いですね」と
 担当のレディーに 仕事の邪魔にならぬように こそこそっと 告げると

 「 ええっ~ 誰のこと 差して言ってるんですか~! 」
 「 ここには日本人だけだけど~ 」 と小声で失笑

 「 えっえっえ~!!! 嘘っ~ 」と 小声で 僕

 振り返って もう一度見回すと

 いつの間にか 全員 日本人に変~身! してるじゃないですか
 あそこにも ここにもいたはずの スイス人らしきが

 
 二人して 下を向いて 吹いてしまった。
 たいへん失礼いたしましたっ!

 先入観は 怖い

店に戻ると 駐車場の足元に 土筆が いるわ いるわ
 踏んづけてしまいそうな具合なのに
 今の今まで 気付かないでいる



ぼけっと 見てちゃ いけないね 
ジャン♪ ジャン♪  

Posted by げんきくん at 19:35Comments(0)つれづれサロン

2012年03月11日

去年の今日

去年の3月11日は金曜日だったのですね。

明日に迫った 伊東忠太展記念講演会の
 最終打ち合わせ会議を
 可睡斎の会議室でしている最中でした。

あまりに大きくゆったりした揺れだったので
 最初は それを地震と誰もが認識できなかった。

 そのうち 外部の人間と打ち合わせの電話をしはじめ
 「 今凄い大きな地震がきている 」 と電話口から聞こえ
 みんな騒然となった事を思い出す。

 ここから更に西へ はるか離れた 大阪の高層ビルにも
 大きな被害があったと 後になって知った。

 
阪神淡路大震災の時もそうだったが
 自分の体感する 地震の揺れと
 被災地の揺れが 不気味に連動しながらも

 ラジオやテレビから 刻々と伝えられる 
 現地の想像を絶する惨状は
 ショックが巨大過ぎて 意識を繋がらなくさせる。

  
 現実を信じたくない 受け入れたくないという
 本能のようなものが作用するのだろうか。

 それでも、信じ難い現象が テレビ映像を通して
 茶の間に同時につながってしまうのが 恐ろしい。


地震も異様だったが
 その後連続する 巨大津波 原発事故が
 更に やるせない 無常感を生んだ。

 この尊い教訓を 我々はこの地で しっかり活かせるだろうか
 活かせなければ 犠牲者の魂は浮かばれない。

  まだまだ行方不明の方たちがたくさんいらっしゃる
 それは 未来に向けても伝えていかなくてはいけない。 

辛い事 悲しい事は 早く忘れたいという気持ちと
 この教訓を 風化させないという事とは 
 矛盾する事かもしれないが
 更なる被害を 少しでも軽減させるために
 あえて 一人一人の心に刻んでおきたい。 

特に 天災は防ぎようが無いが
 人災とも言える 原発事故は防げたはず。

 狭い地域の惨事では済まされない。
 全地球規模の被害に発展するのだと 恐れ慄きたい。

 どんなに高く 津波防御壁を築こうが
 断層で地盤が崩れれば 「 また想定外でした 」を繰り返す。
 「100% 絶対大丈夫です。」 と言う人の顔が観てみたい。

 帰る故郷を失くし
 避難命令で助かる命を見捨てなくてはいけなかった
 福島の人たちの前で 雄弁に語ってほしいものだ。

地球は動いているという事
 しかも日本は 一番危なっかしい場所に位置していることを
 歴史も 現実も 語っているのだから。
 

人命、郷里あっての 経済だと言い聞かせ
 欲に目を眩ませず 冷静、謙虚にもどって
 教訓を基に 賢い選択を しなくてはいけない。

  

Posted by げんきくん at 21:07Comments(0)つれづれサロン

2012年03月09日

スズキ化石資料館





袋井市観光協会で
長い間 事務局長さんとして尽力くださった
鈴木政春さんは
知る人ぞ知る 化石博士なのです。

そもそも 袋井が全国的な化石の宝庫であること自体
市民にも あまり知られていない。
袋井の北部宇刈地区 ちょうど葛城ゴルフ場の東側あたりに
大日砂層という 地層があり 化石が出土する。

大日里山公園(仮称ホタルの里公園)として
市でも 予算化 整備し保護 研究に力を入れ始める。

長年にわたって研究を続けてきた 政春さんが
私設の資料館を 仲間の協力を得て立ち上げることになった。
場所は 市役所の東側 出雲葬祭センターの近所です。

以下 ご案内をいただいたので
添付し 宣伝させていただきます。


スズキ化石資料館
開館のお知らせ
平成24年3月 11日(日) 午前11時開館


 見学は連絡先までお願いします。要予約です。
  下記の連絡先にて随時受け付けます。
(但し資料館に係員滞在時は予約なしで見学出来ます)


袋井市東新屋の旧東海道沿いに、
地元の化石を中心にした小さな展示施設を開設しました。
旧東海道を歩く方のちょっとした立ち寄り所として、
また地球の歴史や太古の生物を身近に触れて感じていただく場所として
オープンします。見学希望者は下記のところへご連絡ください。
お待ち申し上げます。

(要予約、無料)


連絡先
鈴木政春
袋井市新屋4丁目1番地の3
電話 0538-43-1006
  

  資料館住所   袋井市国本2949-5(東新屋)  
タグ :化石

Posted by げんきくん at 15:13Comments(2)つれづれサロン

2012年03月09日

袋井スタイル



昨日3月8日は定休日
 久しぶりに 法多山へ 
 ご住職と 愉しい会話の時間を頂だいする。

ほぼ一年ぶりの 訪問になるが 山内はきれいに手入れされ
 施設が改築されたり 新設されており 
 景色が ずいぶん変わって見えた。

 若い時は 何とも感じなかったが
 歳を重ねると あの階段のきつさと 
 本堂に やっとの思いで昇った後 
 トイレを我慢しつつ探し廻り
 また長い階段を行ったり来たりが 苦痛になっていた。

 前には無かった東司が ちょうど写真を撮った中段辺りに
 きれいに新設整備されて ホッとさせられる。

ちょっと ここで自慢



遠州三山 可睡斎で商売させていただきながら
 なんと うちは法多山 尊永寺さんの
 檀家に加えさせていただいている。

 長い石段の途中に こうして僕の名前も刻ませていただき
 真言宗 弘法大師さまを 崇めている。

 
道元さん曹洞宗の可睡斎門前で 商売するとは
 尊永寺さんに対しての 反逆 とも感じられるかもしれないが
 ご住職は 心が広いので この程度の事では
 とやかく 仰らない。 

 門前町は どこも衰退の一途をたどりつつあるが
 この商売を始めた20年ほど前は 法多山門前になど
 入り込める余地は 無かった。

 規律も 団結力も強かったから
 おいそれと 仲間に入れてくださいとは 檀家であっても
 申し出せるものではなかった。


道元様にも 空海様にもご縁をいただき
 信心はまだまだ 薄いながらも
 仏さんの御利益を感じられる生活は
 なんと 袋井風スタイル ではあるまいか  

Posted by げんきくん at 13:57Comments(0)つれづれサロン

2012年03月05日

今年も咲きます



今日は可睡斎で 前の嶋田斎主様の本葬が執り行われた。
 ここのところ お葬式が続く

先日は 同級生の葬儀
 まだ 56歳 斎場では嗚咽が止まらない。
 年老いた母より先に逝く悲しさ。


3.11が近づき 震災の報道も頻繁になる。
 実にたくさんの人の生死が 一瞬の判断の差で
 分かれたことが 知れる。

 写真や画像を映し続けた人が助かり
 笑顔の被写体となった人が 津波にのまれ亡くなった。
 いったいその差は どこにどのようにあったのだろう。

人の命の儚さは 言いようがなく無常だ。

 地震の後 津波を予測できず 散乱した家財を片付けることに
 心を奪われた人が 命まで奪われてしまった。

たくさん残された映像から 人間は何を学ぶべきだろうか

 故郷を失った たくさんの人たちの悲哀から
 僕たちは たくさん学ばなければならない。

 他所事 他人事と捉えていては
 今回の尊い教訓を 無駄にする事になる。 

絶対大丈夫は 神代の時代から存在しないと伝えられてきた。
 人知を超える 巨大な力が存在し
 その力の掌の中で 我々は暮らしている事を
 今こそ思い知るべきだろう。 

何事もなかったように 
 今年も静かに咲く梅の花を
 複雑な思いで 撮り置く。  

Posted by げんきくん at 19:26Comments(0)つれづれサロン

2012年02月29日

雛段



今年もお雛様のシーズンです。
 三月スタートの日が 定休日

娘が戻ってきているので 今年は 雛段も賑やかです。



毎年 毎年 だんだんだけど お雛様出すのも面倒になって
 内裏様とお雛さまだけ出して よし になり
 お道具類が 出てきたのは久しぶり
 


うちの姫どのたちが小さい頃は 転勤族で
 アパート暮らしが続いたせいで
 雛段も 人形もコンパクトサイズです。

 貧乏暮らしの中でも 気に入った人形が欲しくて
 浅草橋界隈の人形店を 何軒もはしごして
 予算とサイズと見比べながら うちにとっての一番を探したのです。



数年かけて これに似合ったお道具類を買い足していき
 質素ながら 自分たちの雛段を作った訳です。

 今年は 久しぶりに全部出せたかと思ったけれど
 ここまで書いて 気付いたことに
 お手製の雛段そのものは 日の目を見ませんでした。

 黒のデコラを張った ずしりと立派な代物ですが
 倉庫の奥に10年以上もしまわれたまま・・・

孫でもできれば また復活かな 
  

Posted by げんきくん at 17:24Comments(2)つれづれサロン

2012年02月28日

甦った西本願寺「伝道院」と伊東忠太展



昨日の出来事
 こうしてみると お前は遊んでばかりか と
 誤解されかねない

確かに 本業とは違う場所に出没している。
 ここは 可睡斎宝物殿横の 会議室内
 なにやら それらしき人物の群像あり

新聞にも載ったらしいから 公表しても大丈夫かな
 右から 竹中工務店 東京本社 《 ギャラリーAクワッド 》企画担当の松隈 章氏
 可睡斎 佐瀬 道淳斎主様
 県立科学技術高等学校 石川教授
 同じく 小田 卓也副校長さん

手前にあるのは 既に何度か登場しているが
 可睡斎護国塔の模型
  左は新作 現存の護国塔1/50模型
  右は展示会で公開された 幻の護国塔1/50模型

 
昨年の《 伊東忠太 可睡斎護国塔100年展 》において
 科学技術高校の生徒さんたちの協力をいただき
 資料の乏しいなか 苦労して忠太の護国塔初期案を 模型化していただいた。


護国塔は1911年建立と言うことで 去年が100周年
 翌1912年竣工の 京都 西本願寺さんの伝道院は
 今年100年を記念する。

親鸞聖人750回大遠忌法要に合わせて
 伝道院は 昨年保存修復工事を終え 公開されているが
 甦った西本願寺 「伝道院」と伊東忠太展と銘打って
 東京と大阪で 企画展が大々的に開催されることになっている。

護国塔展実行委員会としては この僅かなご縁を 
 何とか取り次いで欲しいとの思いで
 図々しくも 企画担当の松隈氏に無理やりとも思えるメールを打ちました。

 当初メールアドレスを知るわけでもなく
 全くの見ず知らずの関係にも関わらず 
 倉方教授の 『 熱い人物の代名詞=松隈 章 』 というヒントを頼りに
 《 ギャラリーAクワッド 》に返ってくる確かな当てもないまま
 藁をも掴む思いで 便りしたのです。

それに対し 間髪を入れず丁重なる返信を ご本人からいただき
 一縷の期待はあったものの まさかこんな展開に発展するとは
 
 あの時の感動は 忘れられません。

その後いろいろなやり取りがありまして 
 今回の 展示会に護国塔を取り上げていただいたり
 模型展示に繋がったりしたのは 良い方向への想定外でした。

彼が代表として運営する 大山崎にある《 聴竹居 》への訪問は
 以前紹介しました。

彼の御紹介で 東京大学大学院の 村松 伸教授とも 連絡が取れるようになりました。
 伸さんが ここ袋井の三川出身であり
 伊東忠太をこよなく愛し 深く研究を進めている方という事も 
 ずいぶん後になってから 知りました。

やはり 伊東忠太と言う人物は とても興味尽きない人物なのです。
 首を突っ込む 誰をも 虜にしてしまうのです。

会の開設に尽力くださった倉方大阪市立大准教授も熱い方ですが

村松 伸という教授も更に 底知れぬ情熱の持ち主
 東大の教授というから 近寄りがたい人物かと思いきや
 確かに異彩は放っていらしたけれど さすがに奥が深い。 
 
 先に催された 袋井市の 東京交流会で 初めてお話しさせていただき
 学者としての一面と 教授 教育者としての一面 其々が
 バランス良く備わった方だと 感じました。


この松隈氏には 一口では言い表せぬご縁をいただきました。
 仕事柄か 人柄か とにかくアンテナが高く 質も超一流で
 熱い人物の代名詞 そのまんま

僕のような素人 田舎のアイススクリーム屋のおっちゃんにさえ
 親しみを込め 接して下さる。
 これは 伸さんにしても 倉方さんにしても 斎主さんにしても同様
 ありがたい人物に 恵まれています。




この科学技術高校作の2基の模型も展示される 展示会は

東京メトロ東西線 東陽町駅近くにある
 竹中工務店 東京本店1F 《 ギャラリーAクワッド 》にて
 3月2日から4月26日(土日・祝休館)まで 入場無料で開催されます。 
  

Posted by げんきくん at 19:21Comments(0)つれづれサロン

2012年02月25日

活人剣



昨日の出来事です。
怪しげな 景色と 人物ですが はたして??

可睡斎に 『6文字穴』があるのは 
僕たちくらいの年代の袋井市民ならたいていは ご存知でしょう。
可睡斎に来たら必ず立ち寄る 子供たちの人気スポットでした。
当時は 当たり前のように中に入って
 6の字型に掘られた洞窟を歓声を上げながら満喫したものです。

その6文字穴のすぐ西側にあるのがこの 石碑です。



古めかしいモノクロ写真の登場。
地面から先端まで約6m程と 記録されていますが
《 活人剣 》 が 嘗てここにはそびえ立っていました。
戦時中 供出されてしまって 現在は 台座だけが残っています。


高村光雲作と 記録にあり 残っていれば国宝級のモニュメントだったはずです。
今日は これから出かけなくてはいけません。
この《 活人剣 》の話題は 改めてすることにします。
お楽しみに  つづく
  

Posted by げんきくん at 17:17Comments(2)つれづれサロン

2012年02月22日

フレッシュサラダ



豆苗 復活
 窓際に置いた 豆苗の根っこがまた再生して
 サラダになるのを 待ちかねている。

待ちかねると言えば
 今朝一番で 産地指定バナナと みかんを買いにCOOPに出かけた
 ありがたいことに 9:00から開店していて 助かる。

常は店の定休日にまとめて買い物に出かけるが
 今日は急ぎの注文で 開店早々飛び込んだ。

自動扉が開くや否や「いらっしゃいませ~」
 美女 (あまりに びっくりしたので しっかり目を上げられなかった)が
 5~6人ずらっと並んで 深々とお辞儀してお出迎え
 予想もしていなかったので 一瞬たじろぐ

「おはようございます」の一言ぐらい 返せたら良かったのだけど
 どぎまぎして 転びそうになっただけだった。
 案外 情けない。

ここまで ご丁寧にされるのも 照れくさいが 
 僕の知る 以前の生協さんからすれば 良い変身ぶりだ
 パートさんも社員さんも一丸となって
 がんばるぞって意気込みが 伝わってきて 好感が持てる。 

うちも こうでなきゃいけないね
 最近 徐々に横柄になっているんじゃないかと
 自分たちを省みることがしばしばだ。
 些細なことでも 当たり前と思わず 新鮮な目や心で見直してみたい


豆苗の新芽は 初々しくて 
 見るものすべてを 初心に戻す
  

Posted by げんきくん at 16:45Comments(0)つれづれサロン

2012年02月21日

星あかりの下



ブログ停滞気味だねと 叱られて
 久しぶりに連続投稿を試みる。
 三日坊さんとは 知れているが ・・・

たまに 友達と駅前で飲む 昨夜も、
 余程の悪天でない限り 車は預けたまま 
 家までは歩いて帰るのが習慣

 貧乏性と言う事もあり 30分くらいの夜道なら
 星座を追いながら そぞろ歩きが楽しい。


袋井駅から東へ 法多街道と呼ばれた道を行くのだが
 JR線路沿い 掛之上という地区を歩くと
 暖かな思い出に 包まれる。

 今はもう無いが 山田医院という緑に囲まれた古めかしい建物に
 強面のお医者さんが いらっしゃった。

 小学校の 校医さんでもあり 
 予防接種は その山田先生の列に並ぶのが怖かった。
 
 一番お世話になっていながら 
 子供心には 小柄だが厳しい顔つきで 
 威厳があり注射針が一番鋭く光って見えた。


小さい頃の思い出を 飛び飛びの場面だが良く覚えている。

 仕事熱心な父は  
 朝は一番列車で まだ寝ている内に出かけてしまい
 帰りも毎晩 待ちくたびれて寝てしまった後の帰宅で
 枕元に置かれたグリコやパラソルチョコが 存在の証しの様だった。

 子供の頃は ひ弱だったのだろう。 
 ずいぶん夜中に熱を出し
 山田先生のお世話になった。

 まだ砂利道だった田舎道を 母が自転車でおぶって僕を運んだ。
 街灯もない 渋垂神社の坂道など砂利にタイヤがさらわれる。
 必死でペダルを漕ぐ母の暖かい背中が懐かしい。

 電話もない時代だ 
 突然の夜中の訪問者にも 山田先生は優しく応えてくれた。

 こういう人たちのお陰で 僕はここにいられるのだろう。

あんなに善い先生はいなかった と
 父母が 懐かしげに感謝を込めて語った事があった。

もう あの屋敷跡は 痕跡すらない。


母が暮れに 寒そうだと言って
 唐突にくれたジャンパーを羽織って
 てくてく その前あたりを歩きだす。

 流行りの羽毛が詰った 軽い奴でなく
 外も中身もみんなポリエステルという安物だが
 実に 暖かく ぼくを包む。
 歳を重ねて やっと僕に似合いの衣装が判る 年頃になった。
  

Posted by げんきくん at 20:12Comments(0)つれづれサロン

2012年02月21日

天地明察



あれよあれよ  
 如月から弥生に季節は 移り変わらんとする

二月を梅見月(むめみつき)
 三月を夢見月(ゆめみづき)とも 
 この国の人は言い表してきたそうだ

気候のせいかもしれないが
 今年の梅は 遅く咲き 花持ちがいい

この木を手入れする大家さんが忙しかったらしく 
 昨年末 ずいぶん押し迫ってから枝おろしをしていた。
 きっと そのせいで開花の時期が後ろにずれたのだと
 勝手に想像する。

昨日は 久しぶりに伊東忠太 可睡斎護国塔100年展のメンバーが集合した。
 去年の事業を まとめるための会合だったが
 もう一つ お楽しみがあった。

一月下旬の 新聞記事でご存知の方もいらっしゃるでしょうが
 この会の委員長 遠藤前県教育長がご先祖様から托されていた240にも及ぶ古文書
 江戸時代初期の 大阪の古地図など 一口では言い表せないような
 貴重な資料の一部を 閲覧させてもらったのです。

ご先祖さんは 安井家と言って
 道頓堀を掘られた安井道頓とか 徳川家康の囲碁方 安井算哲などの血筋

 こんな 江戸でも道頓堀でもない 田舎町に何故こんな資料が?
 明治天皇御尊像だってしかり 

 世の中不思議だから なぜ?何故? が愉しい
 

もうじき公開の V6 岡田君主演の映画《天地明察》はまさに ご先祖様の歴史そのもの
 安井算哲こと 渋川春海は 江戸時代初期の徳川家おかかえの囲碁棋士であり
 日本の農業や生活に欠かすことのできない 大和暦を算出し 天文方の要職に就く。

 岡田君は遠藤先生のご先祖さん と言うことになる。

護国塔展の 展開中 お宝の話は伺っていたがいたが
 まさかこんなに すごい資料だとは予想だにしていなかった。
 質はもちろん 量も半端ではない。
 240点とも言われる資料の ほんの一部を見せていただいたが 
 笑いが止まらないというのは こういう事でしょう。

三月に入ると これらの資料は大阪歴史博物館に寄託され
 研究者たちの 熱いまなざしを受けることになる。
 一部は 一般公開もされ 突然降って湧いたようなお宝資料に魅了されるに違いない。
 ブラタモリさんも 観に行ってくれるだろうか

《天地明察》の公開に合わせるような偶然だが
 物語というのは こうして不思議なご縁で 次々に繋がっていく。

岡田君の妻役は 宮崎あおいちゃんだそうだ
 とても小さな声で言ってしまうが
 うちのスタッフは あおいちゃんが暮れに うちの店に来たと言い張る
 間違いなくあれは あおいちゃんだったと かみさんも言う
 こんな田舎に まさかねえ

 でも本当なら 面白いよネエ ご縁かなあ
  

Posted by げんきくん at 15:51Comments(2)つれづれサロン

2012年01月05日

臨時営業



本日 木曜定休日ですが
正月営業いたします
10:00~16:00

短縮時間ですが どうぞお立ち寄りください。

紅ほっぺミルク・黒豆みるく・ピスタチオ
國香吟醸酒粕のミルク等々
旬の素材を ご用意いたしました。  

Posted by げんきくん at 08:59Comments(1)つれづれサロン

2012年01月03日

宜しくお願いします



2012年正月
昨年は たいへんお世話になりました
今年も どうぞ宜しくお願い致します。

昨年は日本中が震撼とする年でした。

想定外、想定外と
 慎重派の正論を力でねじ伏せてきた連中の決まり文句に辟易

彼らの失態を隠し補うために 
 また多くの税金を集め投入する施策が 検討されている。
 電気料金値上げも 自らの襟を正し
 隠し持つ蓄財も精算してからの話にしてほしい。

 血税を使うなというのではない
 使われる先は被災された方達にであって
 色々な怠慢から被害を出した企業や株主を助けるために使ってほしくないという話だ。 


放射能のためにふる里を奪われ 
 生活の糧、希望まで奪われた庶民を思えば

 他人事を装って ぬくぬく安全地帯で年越しをした
 厚顔の微小念たちに 神の鉄拳を!!

 電力の 恩恵を被っていながらこんな言い方は無いかもしれない。

 でも今だからこそ 僕らも厚顔でNOと言わなくてはいけない。
 日本は世界にも稀に見る地震多発島国なのだと
 遅ればせながらも 大きな犠牲と引き換えに
 大多数が気が付いたのだから。
  

正月も3日目です。
 正月早々こういう批判めいた話題は御法度かも
 ただ送られてきた年賀状の多くに
 去年を顧みお互いの反省を促す文面が記されていた事を思えば
 みんなして 心を一つにする好機なのだと思う。
 

お天気にも恵まれ 超忙しいスタートでした。
 カレンダーの具合からか
 3日の今日は少し落ち着いてしまって
 初ブログに向う余裕も生まれた。

 人々は 早く閉そく感から逃れ
 活気に満ちた賑わいを望んでいる。
 不謹慎と思われても 
 前を向いて 笑顔でいられる環境も必要だろう。

 苦しみ悲しみの最前線には 
 ここから送り届けなければならないものがある。

 そのためには 下を向いてばかりもいられない
 税金が有効に活用され届けられるよう
 庶民サイドでは いっそうの頑張りが必要に違いない。
 優秀なお役人さんたち そこんとこよろしく!!
   

Posted by げんきくん at 16:55Comments(0)つれづれサロン

2011年12月23日

小麦アレルギー




山茶花が満開になり
 山からメジロも下りて来て我が家の庭は賑やかだ

娘が手伝いをしてくれるようになって一月程経った。
 なかなかうるさいお嬢様で 辟易する場面も多いが
 初心に戻って ジェラート作りに精進するには
 このくらいの 厳しさが必要かもしれない。

意見、批判を言ってくれる友は
 貴重な存在だろう。
 うるさい!と一括してしまうのは簡単だが
 もっともな意見だと 一呼吸置いて
 自身を改めることは こういう立場にあって必須に違いない。


アイスケーキ作りに
 せっせと挑戦してくれている。
 今年も少しだけれど クリスマス用のアイスケーキを
 受注生産して 明日を迎える。

 試行錯誤を繰り返し
 少しずつ少しずつ ケーキ作りのノウハウを積んでいる。
 まだ大々的に 宣伝するまでには至っていないので
 たまさか 来店してそれに気づいた人にだけ注文をいただいている。
 来年のクリスマス前には なんとかアピールもしたいものだ。

解けないクリームやスポンジケーキが素材でなく
 ジェラートをメインにケーキにしていくので
 ケーキ屋さんのノウハウが通用しない
 
最近 ある石鹸使用で小麦アレルギーになってしまったという
 驚愕する事件があったが
 身近なところでも 
 この小麦アレルギーに悩んでいらっしゃる方が増えた。

 そういう方達には 本来のケーキが楽しめないわけで
 小麦やミルク、卵を使わないでアイスケーキを提供できる
 うちのような店も お役にたてるわけで
 早く本格的に取り組める 基礎を身につけなくてはいけない。

焦らず 質を上げていく努力の時と信じたい。


    

Posted by げんきくん at 18:51Comments(0)つれづれサロン

2011年12月15日

上原ひろみ



新静岡セノバ前のクリスマスツリー
13日夜 久しぶりに静岡に出かけた。

下の娘にチケット買ってもらって
《矢野顕子 X 上原ひろみ》今年は2人でさとがえるツアー
に行ってきてしまいました。
おお!!感動!!!

上原ひろみは 普通じゃないね
ガンコ凄い!!!

なんで矢野顕子? と最初は思ってしまったが
 二人のコラボが 実に絶妙で楽しい

鉄骨×ラーメン 構造 どっかの建築物件のコマーシャルじゃないけど
 デコイチと糸こんにゃくが同じステージの上でガンガンふにゃふにゃやるのだ
 CDやTV番組で聴く上原ひとみは 浅い知識の中では
 デコイチのパワーが鮮烈に飛び込んでくるが
 矢野顕子とのセッションから 
 彼女の繊細で情緒豊かな部分がきらめいていた。

遠州の産んだ偉人と矢野は拍手を贈ったが
 浜松ってところは 実に面白いところなんだと感心する。
 鈴木砂羽さんなんかも今が旬で熱いが(僕はあのキャラが気に入っている)
 上原ひとみは世界に通用する逸材だから桁が違う。

とにかく 久しぶりの感動
 ピアノを聴いて 涙が出てくるなんて経験は
 そうそうなかった。

娘と二人 楽しい夜でした。

ちなみに 今夜12月15日は 秋葉の火祭り
 ここ可睡斎でも しめやかに執り行われます。
  

Posted by げんきくん at 18:52Comments(0)つれづれサロン

2011年12月10日

壊れたカメラ



大事なデジカメを 落して壊してしまった。
既に何度も落して その度に危機を乗り越えてきたのに
今回は ちょっとヤバいみたいだ。

昨日はメンテナンスの記事だったが
今日も そんなこんなでメンテがらみの話か


パソコンにしても このデジカメにしても
 ちょっと前では考えられないような
 価格破壊の世界に入っている。

回転寿司の世界でも 安売り合戦で
 最後まで 安くなければと言って頑張っていたところが
 方針転換を遅ればせながらしないでは
 存続も厳しくなりましたと 白旗を揚げた。


昼過ぎにショーケースの蛍光管が切れているのに気付いて
 ホームセンターまで出掛けた。

 ついでに コンベックスが行方不明になっていて
 不便していたので メジャーのコーナーを覗いてみると
 失くした同タイプは2000円以上するのに
 別の棚には 900円 更に下段には300円台のが並べてある。
 うっかり失くしがちの僕には 
 たいしたプロ仕様の精度が求められるわけでもなし
 400円を切る廉価番で充分と思われ
 つい 籠に入れてしまった。

安ものはちょっとと言いながら
 これだけ差があると 貧乏性が頭をもたげる。

デジカメもおそらく修理に出せば直らない事はないだろうが
 レンズ筒のあたりが歪んでいるようで
 部品交換、手間賃、送料・・・・

 ネットショップ上を 少し覗いてみると
 素人向けの しかも壊れたカメラよりよっぽど新しく立派な奴が
 型落ちと言うのだろうか1万円そこそこで出ている。

 物を大切にしない風潮は 断ち切らねばならぬが
 複雑な気分で 《カートに入れる》を クリックしてしまう。


昨日もメンテナンス業を営んでいた事を書いたが
 数年前まで
 当時の部品が 倉庫にずっと置きっぱなしになっており
 いずれ使うかもしれぬと 捨てきれずにいたが
 倉庫代の方が高くついてしまい
 とうとう 手放すことにした。

 遠い知り合いに 譲ったのだが
 貴重な部品のあれこれを 価値も判らず
 ほとんど埋め立てゴミと一緒にされたり
 金属くず扱いで処分されてしまった。 
 しかも「処分代が高くついた」と なじられて
 悲しくなってしまった。

この辺の厨房屋とは 名ばかりで
 故障したら部品がもう手に入らないとか
 治しても他がまた壊れるとか うまい事言って
 新品を買ってもらう 物売りがのさばっている。

 第一 部品を交換する技術も方法も知らない。
 だから まだまだ役にたつ 逆に希少価値で値の出る部品を
 ゴミと一緒に捨ててしまうのだ。

ブラックボックスになった電子基盤などは仕方ないにせよ
 基本的な汎用部品などは 交換して調整すれば
 また新品同様の働きぶりをするのに
 可哀そうなものだ。

ファミレスなどは使用頻度も高く
 使い手も様々 多人数で使い回すから故障しやすいが
 個人商店で 大切に使っていれば
 ちょっとしたオーバーホールと 消耗部品のストックで
 オーナーが死ぬまで使える。


自分の商売が忙しい時期 風呂の給湯器が壊れた時
 面倒くさくて ガス屋に修理を頼んだ。

 若い兄ちゃんがきて パネルをちょっと外して
 見たのか見ないのか内に
 こりゃ 部品交換しても またすぐ壊れるから
 新品と交換して下さい だいたい25万円位ですから
 と言って プロ風を吹かして帰っていった。

シーケンスも見ないで帰りゃがってと思って
 仕方なく自分でチェックしてみたら
 陰に隠れた配線の一部が切れてるだけじゃないか
 つなぎ直して スイッチONで ボッと点火。
 その後 故障もなく ずっと楽しい風呂が楽しめた。

素人だと思って タカをくくったか
 能力が無くて 修理できないのか
 会社から新品を買ってもらえたら成績が上がるとか
 どっちにしても 物を大切にしない風潮が
 メンテナンスマンの すそ野にまで蔓延している。
 これでは 良いメンテナンスマンは育たない。

メンテは 油まみれススまみれ 地べたに這いつくばり
 天井裏にしがみついて 決して楽な商売ではない。
 でも苦労して工夫して修理完了した時の 充実感が嬉しい。

 
 まだ自動車の修理業は 健全な生き残り方をしている方だろう
 でも油断すると この分野すら将来が危うい
 特にディーラー系の修理工場は あぶない。

 上の画像は 僕の愛車 トヨタのデリーボーイ
 222222km乗った時の記念写真

 ディーゼルだからこの後も 存分乗ったが
 首都圏に乗り入れができなくなって 泣く泣く手放した。

  
調子が悪くなって ディーラー修理工場に持ち込んだが
 何度もクレームを言わなくてないけない状態で
 とうとう これは寿命でクレームもいい加減にしてくれと
 迷惑がられて切り捨てられてしまった。

 駐車場でぶつけられて 向こうの保険で修理となった時
 保険会社が 8万円出せと言ってきた。
 ぶつけた本人が 悪かったと謝って 修理しますと言っているのに
 向こうの保険会社は 査定価格が無いから 
 ぶつけられた方が払えと言う???

 ぶつけられて修理代を自分が払わなくてはいけないような古い車だから
 ディーラーが匙を投げても仕方ないかと思いもするが
 あそこまで乗って愛着が湧くと
 そう簡単に鉄くず扱いされるのは悲しすぎる。

 メンテをしていた時からの付き合いだから
 雨の日も風の日も 多分 女房以上に一緒に戦ってきた戦友というか
 自分の体の一部のような存在になってしまっていた。

 女房は 愚痴や文句をいうが
 車は ただひたすら 言われるままに付き添ってくれた。
 
諦めきれず 民間の修理工場に持ち込んだら
 ハイハイと言って 当たり前のように見事に治しきってくれた。

古いせいじゃない 修理の能力や愛情が無いだけじゃなかったか。
 
世界のトヨタも 末端があれでは 将来があぶない。
 設計した人間も 組み立てた人間も 
 関わったすべての人間が
 愛情を注ぎ込んで 世に送り出した商品に違いない。

 それを 最後までめんどうがみられない様な組織に
 消費者は 唖然とするしかない。
 特定の組織というより 
 世の中がどんどんそういうふうに変化しているのか

  
新しいカメラを クリック一つで手に入れようとする自分が
 はたしてこんな生意気を言っていいはずはないが
 
 時々は こういうことも考えたい
 そういう お年頃なのです。  

Posted by げんきくん at 20:06Comments(0)つれづれサロン

2011年12月09日

じぇらーとげんき



師走に入って 時間が飛ぶように過ぎていく

 昨日は定休日
 午前中は隣町まで 検診に行って昼過ぎまで釘づけになる。
 人生初体験の 恐ろしい検査をしてきた。
 今日も その後遺症に 悩まされている。


2時には店に戻ってショーケースの入替え工事
 260kg物が2台あるので 今回は業者さんに頼むことにした。
 しかも店内に180mmも段差があって
 物が狭い場所に埋め込まれており
 それを乗り越えねばならず
 一人で 知恵と時間を使えば出来ない事もなかったが

 父の一言で 製茶機械の据え付け業者さんに初めて依頼する。
 厨房機器屋とばかり頭にあったが
 据え付け 移動作業だったら 業種が違っても
 製茶機械屋さんでも まったくかまわないわけだ。

調子の悪いショーケースを 新旧入替え
 ついでに 使ってないソフトクリームマシンを
 高台の倉庫に移動してもらう。
 若い男手4人で ユニック車も使えば2時間もあれば
 小雨の中でも ひょいひょいと 完了だ。

若い頃は 店を閉めた後 一人で徹夜でしていた。
 今回も しばらく前から計画を練って
 今年中に一人でやる段取りを整えていたが
 さすがに不安が頭を離れず 定休日と一日臨時休業を噛ませて
 二日間で余裕を持って決行する心づもりだった。

 やりはじめてしまえば どんなに大変な仕事も
 なんとかなる 何とかしなけりゃ営業出来ないわけだから
 必死になって 体力と工夫を絡めて何度も切り抜けてきた。

 しかし 寄る年波 体力も落ち 根気も昔ほどでなく
 無理のきかないお年頃になってしまった。

先日の誕生日で 56歳。
 コマーシャルで 女は7の倍数、男は8の倍数の年齢の時に、
 体調の変わり目が訪れるなんて刷り込まれて
 そろそろ夫婦そろって注意信号の歳だと言ってたが
 とうとうその時がやって来てしまった。

病は気からとも言うが 注意するに越したこともない。
 今回は 大事を取って 無難な選択をすることにした。

 接続や調整は自分でして 定休日を使うだけで済んでしまった。


この仕事に着く前は 大手ファミレスのメンテナンス業をしていた。
 冷蔵庫や 電子レンジ ガスオーブン エアコンの修理など
  時には11mの回転看板に登り
  時には トイレの詰りを抜き
  時には レンガやブロックを積み 壁紙を貼り
 ファミレスの中のあれやこれや 一通りのメンテナンスを
 愛知、三重、岐阜、静岡 呼ばれれば正月だろうが深夜だろうが
 エリア内ならば うんもすんもなく駆けつけていた。

今では笑い話だが
 東京で研修中 一人で行動し始めてすぐの頃 川越の店で 
 入口の大きなガラス扉のフロアヒンジを交換し
 次の店に移動したらポケットベルが鳴って
 ガラス扉がはずれて倒れてきて
 お客さんが支え持ったまま動けず困っていると。ええっ!!

 あの扉 重たくて 一人で支えるのたいへんなんですよ。


作業車に あらゆる部品を積んで走り回る
 ガス器具の修理や オーバーホールは
 けっこう真剣 初めの頃は修理後心配で 現場を離れられなかったし
 家に戻っても サイレンが鳴ると心配で店に電話ばかりしていた。

 仲間の中には ボイラー室の屋根を吹き飛ばしたり
 店を 水浸しにした奴もいたし
 客席の天井を踏み抜いて 食事中の頭上に足が踊った奴もいた。


最初は 店の中でも建設物件と言って
 壁紙の補修や トイレのドア カギの修理 アスファルトの補修等が担当だったが

 店の人たちが一番困るのは ラッシュ時に電子レンジが壊れたり
 ご飯が炊けない 洗浄機が動かない 冷凍庫が冷えないみたいな
 設備機器の故障が緊急性があって 何とかしてほしいのだ。

 壁紙が破れていようが ブロックやフェンスが壊れていても
 そのうち直してくれればいいよくらいの柔軟性がある。

設備機器の知識など 一つもなかったが
 困っている従業員たちの需要を満たすように
 本部と電話しながら 一つ治し二つ治している内に
 喜んでもらえる 設備機器の修理の方が 楽しくなっていった。

最初の頃は かなり危なっかしい 危険人物だったろうが
 そのうち うちにも一人欲しいと おばちゃんたちに乞われる
 貴重な存在に 成長していった。

 洗浄機の修理はほとんど 洗い物が山のように貯まって
 フロアの床にも足の踏み場もなくなるくらいになる。

 そんな時は まず修理でなく
 洗い物を処理してあげることが最優先。
 洗い場が少しでも片付けば 
 調理する係も ウェートレスさんも心に余裕ができる。
 洗い場係をかって出れば 予期せぬ助っ人の登場で
 戦闘モードの中に ほのかに灯りがさす。 
 
 ラッシュの時間が過ぎ 洗い場が安定して初めて
 修理を始める。 
 そういう現場を 一店 一店増やしていくと
 信頼の輪も広がり 仕事がやり易くなる。

 おそらく今でも 洗い場をさせたら
 良い仕事っぷりをお見せできると思う。

ああいうところは 女性主体の職場で
 ベテランさんの権力は絶大
 気難しいおばちゃんリーダーが 多いわけで
 彼女たちの気分を損ねたら 意地悪されて
 仕事がし辛くなる。

 逆に 気に入れられれば 
 多少の無理も聞いてくれるようになり
 自前の社食券まで分けてくれるようになる。

そんな僕が 今はジェラートを毎日練っているわけだが
 当時の僕を知っているおばちゃんたちは びっくりするだろう。


そんな経歴から
 今回のようにショーケースを移動し
 修理し 
 大工作業から 壁紙の表具
 タイルやフロアーを張るくらいの簡単な作業なら
 多少時間がかかっても 
 翌朝 お客さんが来る前にはなんとか復旧してしまえる。

 ただ 歳のせいで細かい文字が読めず
 シーケンスを確認したり 配線を追う作業が
 めっきり苦手になってしまって 時間ばかり食うし
 
 メンテも 毎日していれば何のことはないのだろうが
 たまに 電送ボックスを外すと緊張するし
 記憶力が落ちていて 
 外した部品が 元どうり組み込めなくなって
 ネジが 一つ二つ余ってしまって
 もう一度組み立て直し 時間の浪費が情けない。 


《げんき》という屋号も
 毎日元気に 渋滞の中でも昼でも深夜でも出かけて行って
 気持ちよく修理して 喜んでもらえるよう
 《メンテナンスげんき》という名前を付けた名残が

 現在の 《じぇらーとげんき》につながっているのです。 


修理の一線を退いて そろそろ20年。
 あのまま続けていたら 今頃 どんな生活が展開していたろう。

 あれはあれで 大変だけど楽しい仕事には違いなかった。
  

Posted by げんきくん at 20:07Comments(0)つれづれサロン

2011年12月03日

皇帝ダリア




出勤のウインドウガラスに 
 皇帝ダリアの花弁が纏わりついて
 しばらく一緒に ドライブするが
 ひらっと 風に誘われて飛んでいってしまった。

冬の嵐
 一晩 勢いよく吹き荒れた。

せっかくの週末だが 出足は軽やかとは言えない。

そんな中 お馴染のオヤジさんがコーヒーを飲みに

 最近めっきり お耳が遠くなってしまわれ
 周りとうまくかみ合わないので元気が無い。
 戦争中は 潜水艦に乗っていた話を聞いている
 お寺では 有力者で通っており
 元気な頃は 異議を申し立てる者も無く
 彼が首を 横に振るか 縦に振るかを
 みんな恐々 覗っていたようだが
 自ら 一線を退き 今では好々爺風に変身している。

 タバコが止められず
 入院して 一時 禁煙風の時期もあったが
 いつの間にか Peaceをさりげなく取り出しては燻らせる
 子供客が多いからと注意しても
 耳の遠いふりをして 勝手にやりはじめ
 何度もテーブルクロスを焦がしたが

 先日は タバコとライターを出し
 「コーヒーには タバコだ」 と言いながらも
 「今日はやめときなよ」の僕の一言をニコニコ聴きながら
 コーヒーをすすり、結局 我慢できてポケットに納め
 「また来るよ」とご機嫌で帰って また今日に至った。   

うちにとっては そういう厳しい面は見せず
 いつも ニコニコ 暑ければジェラートを
 寒ければ コーヒーを
 店内の 他のお客さんにも世間話を持ちかけ
 博識な部分も ちらっとのぞかせる。

野菜作りが 飛び抜けて上手で
 これには びっくりするが
 どこの八百屋でも見たことが無いような
 とびきりの野菜を育てる名手だ。

 そもそも この街の
 日本一を誇る《クラウンメロン》を
 現在の地位にまで 引張って来た立役者の一人で
 作物に注ぐ 愛情は普段の強面からは想像もつかない。

 盛夏も厳冬も 水やりのタイミングや 量を
 我が子を育てるように陽が昇り 沈むまで丹精する
 都会の家庭菜園の量とは 地主さんだから規模も違う

 時々 収穫のお裾分けをいただくが 
 出来栄えを まず褒めずにはいられない。
 野良仕事が 大好きでたまらないのが伝わってくる。

どんな仕事に限らず こよなく愛し 情熱を傾けている人は
 活き活きしていて いいもんだ。

そろそろ 天気も回復か

 ジェラート作りながら
 お馴染の お客さんと 小話を挟み
 お互いの健闘を 褒め合って
 のんびりしかし しっかりと時間が過ぎていく
 こういう日も 貴重だね。
   

Posted by げんきくん at 14:16Comments(0)つれづれサロン

2011年11月28日

仰げば尊し



お陰さまで《伊東忠太 可睡斎護国塔100年展》無事終了いたしました。
 御来場下さった方々 フォーラムに参加して下さった方々
 陰に日向に 御協力下さった 全ての方達に 御礼申し上げます。
 本日午前中 会場の後片付けを 済ませ やっとホッとしたところです。

もちろん昨日の夜は フォーラムの先生たちを囲んで懇親会でした。
 工学院大学の後藤 治教授、大阪市立大の 倉方俊輔准教授  
 飛び入りで 竹中工務店 ギャラリーAクワッドの松隈 章氏
 前静岡県教委 遠藤亮平教育長も実行委員会創設以来
 最初で最後の飲み会参加で盛り上がりました。 
 小さな街の小さな投げかけに かなり豪華な応答があり
 やってよかったの 感想です。

遠藤先生も お百姓さんに戻って 楽しい農園づくりの再開です。
 僕も 真面目なジェラート屋のおっさんに戻って 
 楽しいお店づくりに専念できます。

 ほぼ一年間かけて築き上げた企画にこれほど没頭できたのは
 仲間たちとの出会いのお陰と言って間違いない
 まさか遠藤先生にこれほど引張られるとは
 当初予想だにしていなかった。
 彼に影響を受け 思いがけない勉強をした。
 彼は 出来ない宿題は 出さない。
 たいへんだけど 頑張った分だけ自分の身に着く
 努力の楽しさを教えてもらった。

毎日のように宿題を出され 毎日のように顔を合わせ
 一年過ごしたが もう今までのような訳にはいかないと思うと
 やはり寂しい。
 仰げば尊しでも歌いたい気分になる

他のメンバーも 其々の得意分野で尽力してくれた。
 しかも 誰一人 気負ったところもなく
 陰に隠れた仕事ぶりを善しとした。
 おそらくそういう メンバーに恵まれたことが
 成功の一因だったと思う。

来年は何しよう?
 という 話も持ち上がっているが
 実は ちょっと一休みが 僕の本音でもある。

おそらく 全力投球の遠藤先生も 休養が必要と思われる。
 今回の活躍ぶりを見てきた 市の要職たちから
 あれやこれや要請を打診されているようだが
 畑の野菜たちが彼の帰還を 訴えているらしく
 良い返事はしていないみたいだ。

 気持ちはわかるが 彼の底力を見せつけられて
 お百姓仕事にばかり精を出すのは 実にもったいないと思う。
 ああいう 街のリーダーが是非とも必要な時代なのだ。

上の写真は 護国塔碑を覆っていたヒマラヤスギの巨木
 石碑が約5.4mですから 木は相当大きかった。
 
 碑文を読み解いたり 拓本を録るのに邪魔していたが
 台風15号の強風で 根ごと ひっくり返った。
 しかも石碑と真逆の方向に倒れたわけで
 何かの力に守られていたとしか考えられない。

不思議な力に守られ 慰霊塔たる護国塔が100年の歳月を経て
 我ら現代人に 色々な事を語りかけてくれた。

竹中の松隈章氏 率いるチームが
 来年は東京 大阪で 伊東忠太旧伝導院展を企画。
 プロの企画者チームが 僕たちの企画の中から
 少し引き継いで利用してくれるという 嬉しい情報もある。
 護国塔が1911年 西本願寺旧伝導院が1912年
 伊東忠太の 兄弟建築物のご縁で 楽しいお付き合いが始まった。
 
次から次へと 波紋のようにご縁が繋がる
 名古屋 覚王山日泰寺とは 可睡斎 日置黙仙禅師つながり
 この連携も 密かにしかし強く望まれている。
 何かのご縁なのでしょう。
 いずれこの報告も することになりそうです。
   

Posted by げんきくん at 16:25Comments(0)つれづれサロン

2011年11月27日

田中光顕像

 



いよいよ 《 伊東忠太 可睡斎護国塔100年展 》最終日です

上は 伝 田中光顕翁の座像です。

田中光顕という人物は 土佐藩士で 武市半平太の土佐勤王党出身
 後 長州に渡って高杉晋作 伊東博文らと活動し
 坂本龍馬の暗殺現場に駆け付け 
 息絶える前の中岡慎太郎に応じたという逸話もある。

 明治新政府では 岩倉具視使節団として欧州視察
 警視総監 学習院院長などを経て
 子爵の称号を得 宮内大臣として
 明治天皇陛下に 信頼されお傍に仕えた。

 晩年は静岡に移り住み 昭和14年
 蒲原駅近くの青山荘という別荘で97歳の最期を迎えた。

明治天皇陛下が崩御され 皇后さまの許可を得て天皇像を作らせ
 一体を青山荘に祀っていたが
 可睡斎の日置黙仙禅師に請われて その像を可睡斎に寄贈した。

 これは 日露戦争の英霊を慰霊するためにつくった護国塔に
 遺骨や聖砂を弔い 明治天皇陛下もお近くで見守ってほしいという
 禅師と 光顕翁の思いが合致したためと 勝手に解釈する。

残念ながらこの座像が 光顕翁その人である確証は得られていないが
 像の家紋や作者の経緯などから そうであろうとされている。




今日の可睡斎は このフィナーレとは別に
 クラッシックカーの展示や お見合い会・・・・・
 色々 催しが重なっているらしく 普段に無く賑やかだ

 13:00からはフォーラムが開かれるが
 展示室は 御自由に入れます。
 拝観料500円はかかりますが 歴史に興味のある方は
 是非どうぞ
 袋井の歴史ではなく 近代日本の歴史が凝縮された展示に
 なっていると思っています。

私の つたないこのブログをご覧になって
 駆けつけてくださった方達もいらっしゃって
 しかも喜んで下さって たいへん嬉しく感じました。

 我々の活動が日本人の来た道を 
 身近に感じていただく きっかけになれば幸いです。 

一番下に この画像を持ってきてしまっては
 罰が当たるかもしれませんが
 お厨子の外に出られた 明治天皇御尊像です。


 
  

Posted by げんきくん at 11:58Comments(2)つれづれサロン