2012年01月05日

臨時営業



本日 木曜定休日ですが
正月営業いたします
10:00~16:00

短縮時間ですが どうぞお立ち寄りください。

紅ほっぺミルク・黒豆みるく・ピスタチオ
國香吟醸酒粕のミルク等々
旬の素材を ご用意いたしました。  

Posted by げんきくん at 08:59Comments(0)つれづれサロン

2012年01月03日

宜しくお願いします



2012年正月
昨年は たいへんお世話になりました
今年も どうぞ宜しくお願い致します。

昨年は日本中が震撼とする年でした。

想定外、想定外と
 慎重派の正論を力でねじ伏せてきた連中の決まり文句に辟易

彼らの失態を隠し補うために 
 また多くの税金を集め投入する施策が 検討されている。
 電気料金値上げも 自らの襟を正し
 隠し持つ蓄財も精算してからの話にしてほしい。

 血税を使うなというのではない
 使われる先は被災された方達にであって
 色々な怠慢から被害を出した企業や株主を助けるために使ってほしくないという話だ。 


放射能のためにふる里を奪われ 
 生活の糧、希望まで奪われた庶民を思えば

 他人事を装って ぬくぬく安全地帯で年越しをした
 厚顔の微小念たちに 神の鉄拳を!!

 電力の 恩恵を被っていながらこんな言い方は無いかもしれない。

 でも今だからこそ 僕らも厚顔でNOと言わなくてはいけない。
 日本は世界にも稀に見る地震多発島国なのだと
 遅ればせながらも 大きな犠牲と引き換えに
 大多数が気が付いたのだから。
  

正月も3日目です。
 正月早々こういう批判めいた話題は御法度かも
 ただ送られてきた年賀状の多くに
 去年を顧みお互いの反省を促す文面が記されていた事を思えば
 みんなして 心を一つにする好機なのだと思う。
 

お天気にも恵まれ 超忙しいスタートでした。
 カレンダーの具合からか
 3日の今日は少し落ち着いてしまって
 初ブログに向う余裕も生まれた。

 人々は 早く閉そく感から逃れ
 活気に満ちた賑わいを望んでいる。
 不謹慎と思われても 
 前を向いて 笑顔でいられる環境も必要だろう。

 苦しみ悲しみの最前線には 
 ここから送り届けなければならないものがある。

 そのためには 下を向いてばかりもいられない
 税金が有効に活用され届けられるよう
 庶民サイドでは いっそうの頑張りが必要に違いない。
 優秀なお役人さんたち そこんとこよろしく!!
   

Posted by げんきくん at 16:55Comments(0)つれづれサロン

2011年12月23日

小麦アレルギー




山茶花が満開になり
 山からメジロも下りて来て我が家の庭は賑やかだ

娘が手伝いをしてくれるようになって一月程経った。
 なかなかうるさいお嬢様で 辟易する場面も多いが
 初心に戻って ジェラート作りに精進するには
 このくらいの 厳しさが必要かもしれない。

意見、批判を言ってくれる友は
 貴重な存在だろう。
 うるさい!と一括してしまうのは簡単だが
 もっともな意見だと 一呼吸置いて
 自身を改めることは こういう立場にあって必須に違いない。


アイスケーキ作りに
 せっせと挑戦してくれている。
 今年も少しだけれど クリスマス用のアイスケーキを
 受注生産して 明日を迎える。

 試行錯誤を繰り返し
 少しずつ少しずつ ケーキ作りのノウハウを積んでいる。
 まだ大々的に 宣伝するまでには至っていないので
 たまさか 来店してそれに気づいた人にだけ注文をいただいている。
 来年のクリスマス前には なんとかアピールもしたいものだ。

解けないクリームやスポンジケーキが素材でなく
 ジェラートをメインにケーキにしていくので
 ケーキ屋さんのノウハウが通用しない
 
最近 ある石鹸使用で小麦アレルギーになってしまったという
 驚愕する事件があったが
 身近なところでも 
 この小麦アレルギーに悩んでいらっしゃる方が増えた。

 そういう方達には 本来のケーキが楽しめないわけで
 小麦やミルク、卵を使わないでアイスケーキを提供できる
 うちのような店も お役にたてるわけで
 早く本格的に取り組める 基礎を身につけなくてはいけない。

焦らず 質を上げていく努力の時と信じたい。


    

Posted by げんきくん at 18:51Comments(0)つれづれサロン

2011年12月15日

上原ひろみ



新静岡セノバ前のクリスマスツリー
13日夜 久しぶりに静岡に出かけた。

下の娘にチケット買ってもらって
《矢野顕子 X 上原ひろみ》今年は2人でさとがえるツアー
に行ってきてしまいました。
おお!!感動!!!

上原ひろみは 普通じゃないね
ガンコ凄い!!!

なんで矢野顕子? と最初は思ってしまったが
 二人のコラボが 実に絶妙で楽しい

鉄骨×ラーメン 構造 どっかの建築物件のコマーシャルじゃないけど
 デコイチと糸こんにゃくが同じステージの上でガンガンふにゃふにゃやるのだ
 CDやTV番組で聴く上原ひとみは 浅い知識の中では
 デコイチのパワーが鮮烈に飛び込んでくるが
 矢野顕子とのセッションから 
 彼女の繊細で情緒豊かな部分がきらめいていた。

遠州の産んだ偉人と矢野は拍手を贈ったが
 浜松ってところは 実に面白いところなんだと感心する。
 鈴木砂羽さんなんかも今が旬で熱いが(僕はあのキャラが気に入っている)
 上原ひとみは世界に通用する逸材だから桁が違う。

とにかく 久しぶりの感動
 ピアノを聴いて 涙が出てくるなんて経験は
 そうそうなかった。

娘と二人 楽しい夜でした。

ちなみに 今夜12月15日は 秋葉の火祭り
 ここ可睡斎でも しめやかに執り行われます。
  

Posted by げんきくん at 18:52Comments(0)つれづれサロン

2011年12月10日

壊れたカメラ



大事なデジカメを 落して壊してしまった。
既に何度も落して その度に危機を乗り越えてきたのに
今回は ちょっとヤバいみたいだ。

昨日はメンテナンスの記事だったが
今日も そんなこんなでメンテがらみの話か


パソコンにしても このデジカメにしても
 ちょっと前では考えられないような
 価格破壊の世界に入っている。

回転寿司の世界でも 安売り合戦で
 最後まで 安くなければと言って頑張っていたところが
 方針転換を遅ればせながらしないでは
 存続も厳しくなりましたと 白旗を揚げた。


昼過ぎにショーケースの蛍光管が切れているのに気付いて
 ホームセンターまで出掛けた。

 ついでに コンベックスが行方不明になっていて
 不便していたので メジャーのコーナーを覗いてみると
 失くした同タイプは2000円以上するのに
 別の棚には 900円 更に下段には300円台のが並べてある。
 うっかり失くしがちの僕には 
 たいしたプロ仕様の精度が求められるわけでもなし
 400円を切る廉価番で充分と思われ
 つい 籠に入れてしまった。

安ものはちょっとと言いながら
 これだけ差があると 貧乏性が頭をもたげる。

デジカメもおそらく修理に出せば直らない事はないだろうが
 レンズ筒のあたりが歪んでいるようで
 部品交換、手間賃、送料・・・・

 ネットショップ上を 少し覗いてみると
 素人向けの しかも壊れたカメラよりよっぽど新しく立派な奴が
 型落ちと言うのだろうか1万円そこそこで出ている。

 物を大切にしない風潮は 断ち切らねばならぬが
 複雑な気分で 《カートに入れる》を クリックしてしまう。


昨日もメンテナンス業を営んでいた事を書いたが
 数年前まで
 当時の部品が 倉庫にずっと置きっぱなしになっており
 いずれ使うかもしれぬと 捨てきれずにいたが
 倉庫代の方が高くついてしまい
 とうとう 手放すことにした。

 遠い知り合いに 譲ったのだが
 貴重な部品のあれこれを 価値も判らず
 ほとんど埋め立てゴミと一緒にされたり
 金属くず扱いで処分されてしまった。 
 しかも「処分代が高くついた」と なじられて
 悲しくなってしまった。

この辺の厨房屋とは 名ばかりで
 故障したら部品がもう手に入らないとか
 治しても他がまた壊れるとか うまい事言って
 新品を買ってもらう 物売りがのさばっている。

 第一 部品を交換する技術も方法も知らない。
 だから まだまだ役にたつ 逆に希少価値で値の出る部品を
 ゴミと一緒に捨ててしまうのだ。

ブラックボックスになった電子基盤などは仕方ないにせよ
 基本的な汎用部品などは 交換して調整すれば
 また新品同様の働きぶりをするのに
 可哀そうなものだ。

ファミレスなどは使用頻度も高く
 使い手も様々 多人数で使い回すから故障しやすいが
 個人商店で 大切に使っていれば
 ちょっとしたオーバーホールと 消耗部品のストックで
 オーナーが死ぬまで使える。


自分の商売が忙しい時期 風呂の給湯器が壊れた時
 面倒くさくて ガス屋に修理を頼んだ。

 若い兄ちゃんがきて パネルをちょっと外して
 見たのか見ないのか内に
 こりゃ 部品交換しても またすぐ壊れるから
 新品と交換して下さい だいたい25万円位ですから
 と言って プロ風を吹かして帰っていった。

シーケンスも見ないで帰りゃがってと思って
 仕方なく自分でチェックしてみたら
 陰に隠れた配線の一部が切れてるだけじゃないか
 つなぎ直して スイッチONで ボッと点火。
 その後 故障もなく ずっと楽しい風呂が楽しめた。

素人だと思って タカをくくったか
 能力が無くて 修理できないのか
 会社から新品を買ってもらえたら成績が上がるとか
 どっちにしても 物を大切にしない風潮が
 メンテナンスマンの すそ野にまで蔓延している。
 これでは 良いメンテナンスマンは育たない。

メンテは 油まみれススまみれ 地べたに這いつくばり
 天井裏にしがみついて 決して楽な商売ではない。
 でも苦労して工夫して修理完了した時の 充実感が嬉しい。

 
 まだ自動車の修理業は 健全な生き残り方をしている方だろう
 でも油断すると この分野すら将来が危うい
 特にディーラー系の修理工場は あぶない。

 上の画像は 僕の愛車 トヨタのデリーボーイ
 222222km乗った時の記念写真

 ディーゼルだからこの後も 存分乗ったが
 首都圏に乗り入れができなくなって 泣く泣く手放した。

  
調子が悪くなって ディーラー修理工場に持ち込んだが
 何度もクレームを言わなくてないけない状態で
 とうとう これは寿命でクレームもいい加減にしてくれと
 迷惑がられて切り捨てられてしまった。

 駐車場でぶつけられて 向こうの保険で修理となった時
 保険会社が 8万円出せと言ってきた。
 ぶつけた本人が 悪かったと謝って 修理しますと言っているのに
 向こうの保険会社は 査定価格が無いから 
 ぶつけられた方が払えと言う???

 ぶつけられて修理代を自分が払わなくてはいけないような古い車だから
 ディーラーが匙を投げても仕方ないかと思いもするが
 あそこまで乗って愛着が湧くと
 そう簡単に鉄くず扱いされるのは悲しすぎる。

 メンテをしていた時からの付き合いだから
 雨の日も風の日も 多分 女房以上に一緒に戦ってきた戦友というか
 自分の体の一部のような存在になってしまっていた。

 女房は 愚痴や文句をいうが
 車は ただひたすら 言われるままに付き添ってくれた。
 
諦めきれず 民間の修理工場に持ち込んだら
 ハイハイと言って 当たり前のように見事に治しきってくれた。

古いせいじゃない 修理の能力や愛情が無いだけじゃなかったか。
 
世界のトヨタも 末端があれでは 将来があぶない。
 設計した人間も 組み立てた人間も 
 関わったすべての人間が
 愛情を注ぎ込んで 世に送り出した商品に違いない。

 それを 最後までめんどうがみられない様な組織に
 消費者は 唖然とするしかない。
 特定の組織というより 
 世の中がどんどんそういうふうに変化しているのか

  
新しいカメラを クリック一つで手に入れようとする自分が
 はたしてこんな生意気を言っていいはずはないが
 
 時々は こういうことも考えたい
 そういう お年頃なのです。  

Posted by げんきくん at 20:06Comments(0)つれづれサロン

2011年12月09日

じぇらーとげんき



師走に入って 時間が飛ぶように過ぎていく

 昨日は定休日
 午前中は隣町まで 検診に行って昼過ぎまで釘づけになる。
 人生初体験の 恐ろしい検査をしてきた。
 今日も その後遺症に 悩まされている。


2時には店に戻ってショーケースの入替え工事
 260kg物が2台あるので 今回は業者さんに頼むことにした。
 しかも店内に180mmも段差があって
 物が狭い場所に埋め込まれており
 それを乗り越えねばならず
 一人で 知恵と時間を使えば出来ない事もなかったが

 父の一言で 製茶機械の据え付け業者さんに初めて依頼する。
 厨房機器屋とばかり頭にあったが
 据え付け 移動作業だったら 業種が違っても
 製茶機械屋さんでも まったくかまわないわけだ。

調子の悪いショーケースを 新旧入替え
 ついでに 使ってないソフトクリームマシンを
 高台の倉庫に移動してもらう。
 若い男手4人で ユニック車も使えば2時間もあれば
 小雨の中でも ひょいひょいと 完了だ。

若い頃は 店を閉めた後 一人で徹夜でしていた。
 今回も しばらく前から計画を練って
 今年中に一人でやる段取りを整えていたが
 さすがに不安が頭を離れず 定休日と一日臨時休業を噛ませて
 二日間で余裕を持って決行する心づもりだった。

 やりはじめてしまえば どんなに大変な仕事も
 なんとかなる 何とかしなけりゃ営業出来ないわけだから
 必死になって 体力と工夫を絡めて何度も切り抜けてきた。

 しかし 寄る年波 体力も落ち 根気も昔ほどでなく
 無理のきかないお年頃になってしまった。

先日の誕生日で 56歳。
 コマーシャルで 女は7の倍数、男は8の倍数の年齢の時に、
 体調の変わり目が訪れるなんて刷り込まれて
 そろそろ夫婦そろって注意信号の歳だと言ってたが
 とうとうその時がやって来てしまった。

病は気からとも言うが 注意するに越したこともない。
 今回は 大事を取って 無難な選択をすることにした。

 接続や調整は自分でして 定休日を使うだけで済んでしまった。


この仕事に着く前は 大手ファミレスのメンテナンス業をしていた。
 冷蔵庫や 電子レンジ ガスオーブン エアコンの修理など
  時には11mの回転看板に登り
  時には トイレの詰りを抜き
  時には レンガやブロックを積み 壁紙を貼り
 ファミレスの中のあれやこれや 一通りのメンテナンスを
 愛知、三重、岐阜、静岡 呼ばれれば正月だろうが深夜だろうが
 エリア内ならば うんもすんもなく駆けつけていた。

今では笑い話だが
 東京で研修中 一人で行動し始めてすぐの頃 川越の店で 
 入口の大きなガラス扉のフロアヒンジを交換し
 次の店に移動したらポケットベルが鳴って
 ガラス扉がはずれて倒れてきて
 お客さんが支え持ったまま動けず困っていると。ええっ!!

 あの扉 重たくて 一人で支えるのたいへんなんですよ。


作業車に あらゆる部品を積んで走り回る
 ガス器具の修理や オーバーホールは
 けっこう真剣 初めの頃は修理後心配で 現場を離れられなかったし
 家に戻っても サイレンが鳴ると心配で店に電話ばかりしていた。

 仲間の中には ボイラー室の屋根を吹き飛ばしたり
 店を 水浸しにした奴もいたし
 客席の天井を踏み抜いて 食事中の頭上に足が踊った奴もいた。


最初は 店の中でも建設物件と言って
 壁紙の補修や トイレのドア カギの修理 アスファルトの補修等が担当だったが

 店の人たちが一番困るのは ラッシュ時に電子レンジが壊れたり
 ご飯が炊けない 洗浄機が動かない 冷凍庫が冷えないみたいな
 設備機器の故障が緊急性があって 何とかしてほしいのだ。

 壁紙が破れていようが ブロックやフェンスが壊れていても
 そのうち直してくれればいいよくらいの柔軟性がある。

設備機器の知識など 一つもなかったが
 困っている従業員たちの需要を満たすように
 本部と電話しながら 一つ治し二つ治している内に
 喜んでもらえる 設備機器の修理の方が 楽しくなっていった。

最初の頃は かなり危なっかしい 危険人物だったろうが
 そのうち うちにも一人欲しいと おばちゃんたちに乞われる
 貴重な存在に 成長していった。

 洗浄機の修理はほとんど 洗い物が山のように貯まって
 フロアの床にも足の踏み場もなくなるくらいになる。

 そんな時は まず修理でなく
 洗い物を処理してあげることが最優先。
 洗い場が少しでも片付けば 
 調理する係も ウェートレスさんも心に余裕ができる。
 洗い場係をかって出れば 予期せぬ助っ人の登場で
 戦闘モードの中に ほのかに灯りがさす。 
 
 ラッシュの時間が過ぎ 洗い場が安定して初めて
 修理を始める。 
 そういう現場を 一店 一店増やしていくと
 信頼の輪も広がり 仕事がやり易くなる。

 おそらく今でも 洗い場をさせたら
 良い仕事っぷりをお見せできると思う。

ああいうところは 女性主体の職場で
 ベテランさんの権力は絶大
 気難しいおばちゃんリーダーが 多いわけで
 彼女たちの気分を損ねたら 意地悪されて
 仕事がし辛くなる。

 逆に 気に入れられれば 
 多少の無理も聞いてくれるようになり
 自前の社食券まで分けてくれるようになる。

そんな僕が 今はジェラートを毎日練っているわけだが
 当時の僕を知っているおばちゃんたちは びっくりするだろう。


そんな経歴から
 今回のようにショーケースを移動し
 修理し 
 大工作業から 壁紙の表具
 タイルやフロアーを張るくらいの簡単な作業なら
 多少時間がかかっても 
 翌朝 お客さんが来る前にはなんとか復旧してしまえる。

 ただ 歳のせいで細かい文字が読めず
 シーケンスを確認したり 配線を追う作業が
 めっきり苦手になってしまって 時間ばかり食うし
 
 メンテも 毎日していれば何のことはないのだろうが
 たまに 電送ボックスを外すと緊張するし
 記憶力が落ちていて 
 外した部品が 元どうり組み込めなくなって
 ネジが 一つ二つ余ってしまって
 もう一度組み立て直し 時間の浪費が情けない。 


《げんき》という屋号も
 毎日元気に 渋滞の中でも昼でも深夜でも出かけて行って
 気持ちよく修理して 喜んでもらえるよう
 《メンテナンスげんき》という名前を付けた名残が

 現在の 《じぇらーとげんき》につながっているのです。 


修理の一線を退いて そろそろ20年。
 あのまま続けていたら 今頃 どんな生活が展開していたろう。

 あれはあれで 大変だけど楽しい仕事には違いなかった。
  

Posted by げんきくん at 20:07Comments(0)つれづれサロン

2011年12月03日

皇帝ダリア




出勤のウインドウガラスに 
 皇帝ダリアの花弁が纏わりついて
 しばらく一緒に ドライブするが
 ひらっと 風に誘われて飛んでいってしまった。

冬の嵐
 一晩 勢いよく吹き荒れた。

せっかくの週末だが 出足は軽やかとは言えない。

そんな中 お馴染のオヤジさんがコーヒーを飲みに

 最近めっきり お耳が遠くなってしまわれ
 周りとうまくかみ合わないので元気が無い。
 戦争中は 潜水艦に乗っていた話を聞いている
 お寺では 有力者で通っており
 元気な頃は 異議を申し立てる者も無く
 彼が首を 横に振るか 縦に振るかを
 みんな恐々 覗っていたようだが
 自ら 一線を退き 今では好々爺風に変身している。

 タバコが止められず
 入院して 一時 禁煙風の時期もあったが
 いつの間にか Peaceをさりげなく取り出しては燻らせる
 子供客が多いからと注意しても
 耳の遠いふりをして 勝手にやりはじめ
 何度もテーブルクロスを焦がしたが

 先日は タバコとライターを出し
 「コーヒーには タバコだ」 と言いながらも
 「今日はやめときなよ」の僕の一言をニコニコ聴きながら
 コーヒーをすすり、結局 我慢できてポケットに納め
 「また来るよ」とご機嫌で帰って また今日に至った。   

うちにとっては そういう厳しい面は見せず
 いつも ニコニコ 暑ければジェラートを
 寒ければ コーヒーを
 店内の 他のお客さんにも世間話を持ちかけ
 博識な部分も ちらっとのぞかせる。

野菜作りが 飛び抜けて上手で
 これには びっくりするが
 どこの八百屋でも見たことが無いような
 とびきりの野菜を育てる名手だ。

 そもそも この街の
 日本一を誇る《クラウンメロン》を
 現在の地位にまで 引張って来た立役者の一人で
 作物に注ぐ 愛情は普段の強面からは想像もつかない。

 盛夏も厳冬も 水やりのタイミングや 量を
 我が子を育てるように陽が昇り 沈むまで丹精する
 都会の家庭菜園の量とは 地主さんだから規模も違う

 時々 収穫のお裾分けをいただくが 
 出来栄えを まず褒めずにはいられない。
 野良仕事が 大好きでたまらないのが伝わってくる。

どんな仕事に限らず こよなく愛し 情熱を傾けている人は
 活き活きしていて いいもんだ。

そろそろ 天気も回復か

 ジェラート作りながら
 お馴染の お客さんと 小話を挟み
 お互いの健闘を 褒め合って
 のんびりしかし しっかりと時間が過ぎていく
 こういう日も 貴重だね。
   

Posted by げんきくん at 14:16Comments(0)つれづれサロン

2011年11月28日

仰げば尊し



お陰さまで《伊東忠太 可睡斎護国塔100年展》無事終了いたしました。
 御来場下さった方々 フォーラムに参加して下さった方々
 陰に日向に 御協力下さった 全ての方達に 御礼申し上げます。
 本日午前中 会場の後片付けを 済ませ やっとホッとしたところです。

もちろん昨日の夜は フォーラムの先生たちを囲んで懇親会でした。
 工学院大学の後藤 治教授、大阪市立大の 倉方俊輔准教授  
 飛び入りで 竹中工務店 ギャラリーAクワッドの松隈 章氏
 前静岡県教委 遠藤亮平教育長も実行委員会創設以来
 最初で最後の飲み会参加で盛り上がりました。 
 小さな街の小さな投げかけに かなり豪華な応答があり
 やってよかったの 感想です。

遠藤先生も お百姓さんに戻って 楽しい農園づくりの再開です。
 僕も 真面目なジェラート屋のおっさんに戻って 
 楽しいお店づくりに専念できます。

 ほぼ一年間かけて築き上げた企画にこれほど没頭できたのは
 仲間たちとの出会いのお陰と言って間違いない
 まさか遠藤先生にこれほど引張られるとは
 当初予想だにしていなかった。
 彼に影響を受け 思いがけない勉強をした。
 彼は 出来ない宿題は 出さない。
 たいへんだけど 頑張った分だけ自分の身に着く
 努力の楽しさを教えてもらった。

毎日のように宿題を出され 毎日のように顔を合わせ
 一年過ごしたが もう今までのような訳にはいかないと思うと
 やはり寂しい。
 仰げば尊しでも歌いたい気分になる

他のメンバーも 其々の得意分野で尽力してくれた。
 しかも 誰一人 気負ったところもなく
 陰に隠れた仕事ぶりを善しとした。
 おそらくそういう メンバーに恵まれたことが
 成功の一因だったと思う。

来年は何しよう?
 という 話も持ち上がっているが
 実は ちょっと一休みが 僕の本音でもある。

おそらく 全力投球の遠藤先生も 休養が必要と思われる。
 今回の活躍ぶりを見てきた 市の要職たちから
 あれやこれや要請を打診されているようだが
 畑の野菜たちが彼の帰還を 訴えているらしく
 良い返事はしていないみたいだ。

 気持ちはわかるが 彼の底力を見せつけられて
 お百姓仕事にばかり精を出すのは 実にもったいないと思う。
 ああいう 街のリーダーが是非とも必要な時代なのだ。

上の写真は 護国塔碑を覆っていたヒマラヤスギの巨木
 石碑が約5.4mですから 木は相当大きかった。
 
 碑文を読み解いたり 拓本を録るのに邪魔していたが
 台風15号の強風で 根ごと ひっくり返った。
 しかも石碑と真逆の方向に倒れたわけで
 何かの力に守られていたとしか考えられない。

不思議な力に守られ 慰霊塔たる護国塔が100年の歳月を経て
 我ら現代人に 色々な事を語りかけてくれた。

竹中の松隈章氏 率いるチームが
 来年は東京 大阪で 伊東忠太旧伝導院展を企画。
 プロの企画者チームが 僕たちの企画の中から
 少し引き継いで利用してくれるという 嬉しい情報もある。
 護国塔が1911年 西本願寺旧伝導院が1912年
 伊東忠太の 兄弟建築物のご縁で 楽しいお付き合いが始まった。
 
次から次へと 波紋のようにご縁が繋がる
 名古屋 覚王山日泰寺とは 可睡斎 日置黙仙禅師つながり
 この連携も 密かにしかし強く望まれている。
 何かのご縁なのでしょう。
 いずれこの報告も することになりそうです。
   

Posted by げんきくん at 16:25Comments(0)つれづれサロン

2011年11月27日

田中光顕像

 



いよいよ 《 伊東忠太 可睡斎護国塔100年展 》最終日です

上は 伝 田中光顕翁の座像です。

田中光顕という人物は 土佐藩士で 武市半平太の土佐勤王党出身
 後 長州に渡って高杉晋作 伊東博文らと活動し
 坂本龍馬の暗殺現場に駆け付け 
 息絶える前の中岡慎太郎に応じたという逸話もある。

 明治新政府では 岩倉具視使節団として欧州視察
 警視総監 学習院院長などを経て
 子爵の称号を得 宮内大臣として
 明治天皇陛下に 信頼されお傍に仕えた。

 晩年は静岡に移り住み 昭和14年
 蒲原駅近くの青山荘という別荘で97歳の最期を迎えた。

明治天皇陛下が崩御され 皇后さまの許可を得て天皇像を作らせ
 一体を青山荘に祀っていたが
 可睡斎の日置黙仙禅師に請われて その像を可睡斎に寄贈した。

 これは 日露戦争の英霊を慰霊するためにつくった護国塔に
 遺骨や聖砂を弔い 明治天皇陛下もお近くで見守ってほしいという
 禅師と 光顕翁の思いが合致したためと 勝手に解釈する。

残念ながらこの座像が 光顕翁その人である確証は得られていないが
 像の家紋や作者の経緯などから そうであろうとされている。




今日の可睡斎は このフィナーレとは別に
 クラッシックカーの展示や お見合い会・・・・・
 色々 催しが重なっているらしく 普段に無く賑やかだ

 13:00からはフォーラムが開かれるが
 展示室は 御自由に入れます。
 拝観料500円はかかりますが 歴史に興味のある方は
 是非どうぞ
 袋井の歴史ではなく 近代日本の歴史が凝縮された展示に
 なっていると思っています。

私の つたないこのブログをご覧になって
 駆けつけてくださった方達もいらっしゃって
 しかも喜んで下さって たいへん嬉しく感じました。

 我々の活動が日本人の来た道を 
 身近に感じていただく きっかけになれば幸いです。 

一番下に この画像を持ってきてしまっては
 罰が当たるかもしれませんが
 お厨子の外に出られた 明治天皇御尊像です。


 
  

Posted by げんきくん at 11:58Comments(2)つれづれサロン

2011年11月25日

坂の上の雲



特別許可をいただいて 撮影した《明治天皇御尊像》です
いよいよ 展示会も大詰め 明日 明後日で最終日です。
27日(日)13:00からは記念フォーラムが開かれ
それが フィナーレになります。

工学院大学の後藤 治教授をお招きし基調講演を
第二部は 大阪市立大の倉方俊輔准教授のコーディネートで
後藤治教授、可睡斎 佐瀬道淳斎主、水野雅彦学芸員、遠藤亮平実行委員長をパネラーにした
パネルディスカッションが 16:30までの予定で開かれます。

参加費は500円 資料代としていただきます。
『文化資源を活かすまちづくり』がテーマです。

可睡斎護国塔も 今年がちょうど建立100年
何かのご縁で この建築物を色々な角度から検証しはじめ
仲間を集め 色々な人達 組織にご協力いただき
存在の意味を 再確認しました。

何だ たった100年か されど100年なのです。
12月から3年に渡る『坂の上の雲』がNHKで完結される。

袋井は 正岡子規が東京から 汽車に乗って松山まで帰省する途中
師走の夕暮れ 静かな袋井駅の様子を詠んだ句が有名です。

『冬枯れの中に家居や村一つ』

駅前には これを記念する句碑も建っており
僕たちの世代は 移設される前の存在感の方が懐かしい。


正岡子規も まさかその20数年後に この寂れた停車場から
護国塔が臨まれるように建ち
ウンカのごとく参拝の行列が 北へ北へと可睡斎まで続くとは
想像だにしなかっただろう。 

その護国塔こそ ドラマのテーマ『日露戦争』そのものなのだ。

世界中が 食うか食われるかの帝国主義に翻弄され
 特に アジアが欧米列強の餌食になって行く最中
 国の存亡をかけて 日本は熾烈な戦争に巻き込まれていった。

 列強の侵略からなんとか 逃れられたものの
 たくさんの犠牲者が異国の地に 屍を晒し
 「勝った、勝った」の祝賀ムードの裏では
 悲嘆にくれ 無常観に苛まれる庶民が山のようにいた。

 当時の 可睡斎四十八世斎主 日置黙仙が全国に呼びかけ慰霊の旅に
 しかも厳寒の季節を選んで満州韓国の戦地を巡錫して歩く。

 その後も 青島や台湾での戦死者の遺骨や聖砂を持ち帰り
 護国塔の地下に葬り慰霊し世界平和を訴え続けました。
 (1915年にはサンフランシスコにまで出掛け 時のウィルソン米大統領に 
  仏教界を代表して世界平和を嘆願をしたのです)

 戦争を擁護するつもりは毛頭もない
 ただし 明治維新前後から1945年までの
 日本と世界との情勢を冷静に読み解かなければ
 戦勝国の歴史観だけで塗りつぶされてしまう。

 そもそも歴史というのは 勝った国の正当性を訴える物語かも知れないが
 植民地にされたり 国を二分化されたりしたし 
 平和に暮らしていた土地を追われ殺され 居留地に閉じ込められた
 インディアン、サモア人 ミクロネシア人、ハワイ人、エスキモー たちを
 他人事のようには思えない。

 一つ選択を間違えれば 日本という国は 無くなっていたのだから。
 
 朝鮮、台湾、中国などとの関係も 其々の立場になって
 反省すべきは反省し 新たな善き関係を築いていかなくては 
 アジアの未来は暗い。

日本人は 日本が世界の中心だと思っているが
 世界から見れば 極東 世界のはずれの小国なのだ。
 先人たちの努力のお陰で 現在の日本がある。
 負けても 大震災が続いても 歯を食いしばってやってきた。

 明治天皇御尊像は 約15kg程ある。
 写真では お厨子の中に置かれていますが
 先日私が 抱きかかえて移し
 今はお厨子の外で背伸びをしておられる。
 おそらく もうしばらくすると 厨子に戻られ
 良好な保存のため 期間限定での公開になると思われます。

日本の歴史は 自分自身の歴史なのです。
 それに気づかせていただけた 貴重な企画でした。
 めでたし めでたし


  

Posted by げんきくん at 14:31Comments(0)つれづれサロン

2011年11月14日

11月14日の記事











展示会の準備に追われて庭を見る暇もなかった。
 気が付けば 色々楽しい景色が目の前にありました。

今年は柚子が豊作です。
 去年は今一でしたから なおさらそう感じます。

皇帝ダリアも あの台風15号に見舞われながらも
この季節を忘れず 咲き始めました。

彼岸もずいぶん過ぎたのに
 一輪だけ 鮮やかな彼岸花風 が開花
 親父の丹精した さつま芋畑の端っこに ひょろっと伸びました。

毎日 楽しい事もあれば 辛い事もある
 山あり谷あり 
 美味しい物ばかり食べていると
 一杯の水のありがたさを 忘れてしまう。

 落ち込む事が 嬉しさを増幅させるのだろう。
 

   

Posted by げんきくん at 20:29Comments(0)

2011年11月12日

聖徳太子像



伊東忠太 護国塔100年展
 まだまだ 補正が随所にあって 手直しや補填でバタバタしている。
 昨夜も家に戻ったのは二時過ぎで 朝も早めに出勤
 週末で 忙しいというのに 朝から行ったり来たりでたいへんです。

 午後には県の教育長さんがいらっしゃると言うので
 少しでも良い状態にしておきたかった。
 どうやら 偶然にも袋井市長さんとも 
 同じ時間帯で廻られたようだ。

 ずいぶん専門の方も 来ておられる様子で
 間違いを指摘してくれたり 
 新たな情報を提供してくれたりと
 その度に 資料やキャプチャーの変更が出て
 とにかく 少しでも正確で奥深い展示にするために
 我々としても 面倒でも改善していく作業を惜しんではいられない。

今も閉店後 休む間もなく 家族を連れて
 展示品の移動作業をしてきたばかりだ。
 一人では 動かしきれないし
 曲がりや 位置修正には 複数の目が便利だ。

 貴重な宝物だったり ガンコ重たかったりと
 気持ちも体力も すり減らす。


上の画像は 聖徳太子尊像 竹内久一作で
 護国塔の上檀 須弥檀の中央に祀られていたもの
 現在は 宝物殿に移されて 展示されている。

今日こそ早目に戻って ゆったり休養をとりたい。
 もう少し修正が出る予定だが
 ほぼ できる範囲の事はやりきった 気もする。

 11月27日(日)13:00から 
 大学教授たちをお招きしてのパネルディスカッションが有ります。
 展示もこの日が最終日になりますので
 是非、 お出かけください。
  

Posted by げんきくん at 19:42Comments(0)つれづれサロン

2011年11月11日

念ずれば花ひらく



本日 定休日なり。
 本当ならば 100年展会場に行って案内係をするつもりが
 その準備のために その他積もり積もった雑用の山を片づけていたら
 外は 夕暮れ あっという間の秋の一日でした。

上は可睡斎の展示会場の 目玉作品
「県立科学技術高校」の生徒たちによる
 伊東忠太 護国塔初期プランの1/50模型です。
 2基並んでいますが 左は現状を表したやはり1/50の簡略模型
 右が 幻に終わった初期プランの模型です。
 規模の違いを感じてもらえるように 左右に並べてあります。




少し観づらいですが
 こちらは「県立浜松江之島高校」芸術科の皆さんの作品
 油彩、染色、彫金、日本画、ビジュアルデザインの力作です。

今回の展示は 護国塔の解説 伊東忠太の紹介が主ですが
 色々な協力者の力を借りて 多角的なアプローチを試みました。
 県立高校の校長会に依頼した結果 上の2校が
 予想をはるかに上回る作品に仕上げて
 届けてくれました。

科学技術高校は 静岡県を代表する工業系の高校ですが
 この作品は 縁あって かの竹中工務店が来年予定している
 東京、大阪を巡る 伊東忠太企画展での展示が約束されました。

 伊東忠太を通じて知り合った
 竹中の 《ギャラリーAクワッド》の企画担当が
 わざわざ 東京から可睡斎に来てくださり
 企画展用の 護国塔写真を建築専門プロカメラマンが撮影し
 かつ、展示中の模型に お墨付きをくれたというわけです。

日本を代表するような工務店の ギャラリーで展示してもらえるなんて
 まるで 夢のような話じゃないですか。
 しかも田舎町の小さな展示会場ではなく
 東京、大阪 そこには建築界の錚々たるメンバーも観に来るはずです。

これが縁で たくさんの携わってくれた生徒さんの中から
 たった一人でも 将来の日本を背負ってくれるような
 建築家や 芸術家が生まれる事を 期待してやみません。

可睡斎本堂前には 坂村真民先生の『念ずれば花ひらく』の石像が立っている
 この企画が立ちあがった時 思い描き念じた展開が
 想定以上の形で 花ひらきつつある。   

Posted by げんきくん at 00:45Comments(0)つれづれサロン

2011年11月06日

雨の日曜日に

雨の週末が 続いています。
 ジェラート屋には 厳しい雨です。
 でもこういう 悪天でも来店くださるお客様は貴重です。
 雨の中 十時前から 出来上がりを待っていてくださるお客様は仏様のようです。

そうそう、忙しくしていた隙に 早や11月に突入
 店の営業時間も 9時~17時に切り替わりました



下の娘が 戻ってきて手伝いを始めている。
 栄養士として病院の給食施設に勤務していたが
 親元を離れ 一人暮らしで早番、遅番と緊張を強いられ
 タイムカードもあってないのが当たり前の世界で
 心安らぐ暇もなかった。
 緊張続きで 逆に会社に迷惑をかけることも出てきて 
 二年半頑張ったが 限界を感じてしまったようだ。

 石の上にも三年と きつく言って育てたが
 壊れてしまっては 元も子もない
 崩壊寸前で 連れ戻したが
 外資系の会社は気をつけないと使い捨ての酷い扱いを受ける。
 退職願を出してからの半年間は 
 親としても陰ながら 長い戦いの日々だった。

現在は 心身ともに安定できる環境を整え
 仕事も手伝い 家事も手伝い 管理栄養士の受験勉強もし
 両親、本人共に やれやれといったところです。

 特に親の方はと言えば 食事のレパートリーが増え
 珍しい味の料理が 夕餉に並ぶ。
 娘たちが県外の大学に行って以来
 ずいぶん長い間 二人っきりの生活が続いた。
 仕事に追われ まっいいっかの連続で メニューもおざなり
 ホットモットのお世話にも 度々なった。

 病院の給食献立てを手伝っていたから
 栄養バランスもいいはずで 本当に助かっている。
 一年くらいで スリムで健康的な体型に戻れたら良いなあと思っているが


将来的には管理栄養士の作った 氷菓のお店として
 世間のお役にたてるひと回り大きな店にしていきたい。
 大きなと言っても 規模ではなく内容を充実させたい意味ですが。

 まだこの先 長い時間が必要だろうけど気長に
 しかし、僕が 倒れてしまう前くらいには目どをつけたい。 
  

Posted by げんきくん at 12:17Comments(4)

2011年11月05日

伊東忠太可睡斎護国塔100年展2日目



袋井に 四代目 鬼秀という おやじさんがいる

母と同級生だったりする関係から
 昔から可愛がってもらっているので
 《現代の名工》に選ばれていたり
 黄綬褒章とか授かっている立派な方なのだが
「おやっさん」「なんだ晃治(げんきの本名)」で通してもらっている。

今回の伊東忠太可睡斎護国塔100年展にも

「ちょっとばかし 力貸してくれんかいねえ。」
「金にならん仕事ばっかり持ってきや―がって、何 手伝やいいだ?」

「ありがとね、助かるやあ。これ見て瓦でも何でもいいで一枚焼いてやあ」
  てな具合に お好み焼でも一枚注文するような乗りで 
  しかも 急ぎのタダ仕事をお願いしてしまった。

 もうじき80に手の届くという おやっさんだが
 いつまでも老いを感じさせないバイタリティを体中から発している。

 急な話だったのでオープンには間に合わず 
 現在は仮に 過去の作品を展示させてもらっているが
 作品が乾いて 窯に入れられ火が通れば 
 忠太の作風を取り入れた特注の瓦が出来上がる。

 



これが焼き上がれば いぶし銀色に輝く瓦になるのだが
 出来上がりが 実に楽しみだ。

蛙又と言って 梁の部分に上下を装飾を兼ねて連結する部分だそうで
 左甚五郎の 龍などを透かし彫りしたものが有名だが
今回は それを瓦で 成形してくれたわけだ。


伊東忠太は 妖怪博士と異名をとるほどの妖怪好きで
 フィールドノートと呼ばれるスケッチ帳に たくさん作品を残している。
 数年前に げげげの水木しげるさんが有名になったが
 その先輩とも言える 仕事ぶりなのだ。

 忠太の妖怪君たちを集めた「伊東忠太動物園」という本が出ているが絶版で
 中古本市場でも 高値で取引される人気もの

 会場では プロの仕事ばかりでなく忠太の妖怪をもとに
 県立浜松江之島高校芸術科の生徒さんに其々の専門分野
 たとえば油彩画、染色、ビジュアルデザイン、日本画、彫金などで
 思い思いに表現してもらったコーナーもあって楽しい。
 
 日本建築学会のHP上でも 伊東忠太のデジタルアーカイブが 
 誰にでも 閲覧できるようになっている。
 興味のある方は 是非 覗きに行って 
 ファンクラブに加入して 雲崗石窟ツアーを立ち上げよう!
 (本気でファンクラブを探す人がいるかも! ここだけは冗談だよ!)

  

Posted by げんきくん at 17:01Comments(2)つれづれサロン

2011年11月03日

護国塔100年展オープンです



いよいよオープンです。
昨夜は 可睡斎に夜中の二時まで
 展示会最終準備に追われました。

朝9時には賑々しく開会式でテープカットも用意しました。
 実行委員会のメンバーは連日の準備作業で くらくらです。
 僕自身 店の営業と重なって てんやわんや
 二時間仮眠で 早朝 ジェラート仕込んで 現場に駆け付け
 なんとか オープニングにも間に合いました。

とはいえ まだまだ不十分なところは山積していて
 しばらくは 補足や手直しで行ったり来たり状態が続くでしょう。

去年の暮れから準備の準備が始まって
 東日本大震災の翌日に スタートの基調講演

 その後、月に一度の 講座を積み重ね
 色々な人や組織を巻き込んでの展開でした。
 講座のほとんどが 日曜日だったので 自身が参加できたのは
 準備作業と 京都ツアーくらいでしたが
 良い経験をさせてもらいました。

 実に充実した一年でした。
 その分 ずいぶんかみさんには迷惑をかけました。
 感謝、感謝


そもそもは 伊東忠太の魅力を世間に広めることと
 護国塔の建築史的な価値を知ってもらって
 多くの市民の方達に 自慢の一品を
 手中に納めてもらいたい一心で始めた事でしたが

 思わぬ発展の仕方を繰り返して
 自分自身が想定外の 収穫を得るに至りました。

行政主体の 予算を与えられて 
 とりあえずこんなことしてみましたタイプの
 箸にも棒にも引っかからないような
 おざなりな事業にはしたくなかったし
 狭い地域の中での展開にしたくなかったので

 まずは協力してくださる 大学教授にコンタクトを取り
 無一文の会ですが 手弁当で来て下さいと
 お願いするところから始まって
 (当初は九州小倉から、4月からは大阪から
  はるばる来てくれる情熱の塊のような教授との出会い)

 教授の快諾をエネルギーに
 地元の有志を募り
 親玉に 元県教委教育長をそそのかし

ところが この親玉が 思いの外の暴れん坊将軍で
 気がついた時には 大海原に船は躍り出し
 船酔いなんかしてしてる暇も与えられない。
 なにせ 親玉が一番勉強し、走り回るからサボってなどいられない。

 多分、今回一番の収穫は この人物と真剣勝負ができたことではなかろうか

 ええっ~!! そこまでするんですか という事を
 まず自分が 見本を見せてやってのけてしまう
 じゃ 後 頼むよ で 自分はもう次の難題に向けてスタートしてしまう
 こういう先生に教えてもらっていたら 東大にだって入れたかもしれない。

期待した事以上の展開で めちゃくちゃ疲れたけれど 実に楽しかった。
 静岡の科学技術高校の先生 生徒にお願いした護国塔模型は
 今 可睡斎宝物殿の ガラスケースに輝いており
 浜松江の島高校の生徒さんたちの 作品は硬くなりがちなこの種の展示会に
 明るい花を添えてくれている。


暗い闇に眠っていた 明治天皇陛下の御尊像が
 この100年展を機会に 日の目を見たのもこの人のお陰だろうし
 前知事 現知事 副知事 教育長 次々に いらっしゃって
 ふだんは静かな可睡斎が にわかに 気色ばんだ。

 県書道家連盟の大谷理事長さんと 一緒に汗したことも 思いがけない
 

こうして、どんどん伊東忠太から離れていく展開に
 その度に 何度もこんなはずじゃなかったと 泣き笑いするのだが
 吸引力の方が強くて 聞こえてなかったらしい
 いつも 笑って良しだ。
 しかも 想像以上に楽しいし 学ぶことが多くて深かったから
 いつしか みんなして催眠術にかけられてしまったようだ。

教職員の不祥事が続いて 謝ってばかりの県教委だが
 本来の力を こうして世間に分け与えてくださる場に
 一緒させてもらえて つくづくラッキーだったと思う。
 世の中には こういう すごい人物が 潜んでいるのだ。
 決して あなどるなかれ  です。

  

Posted by げんきくん at 17:29Comments(0)つれづれサロン

2011年10月09日

祭の日に

袋井はお祭りです。
 一段落して ちょっと休憩。
 
 東日本大震災の影響で
 全国自粛ムードもあるものの
 秋の豊作に感謝するお祭りはほどほどにお祝いしたい。


朝から色々なところからの注文が重なって忙しい。
 子供会や青年会 メロン農家からも毎年注文をいただく。

寿司屋の大将からも十数年続けてご依頼をいただいているが
 今年は母上がお亡くなりになられて喪中のはずで 
 注文は無いだろうと ふんでいたら
 町内会の人たちが毎年楽しみにしているからと
 例年どおりのご注文をいただいた。

 彼の町内会は 毎年150人分位をめどに用意する。
 毎年の事だが 本山車と花屋台を引きまわして来るが
 彼の店の前に近付くにつれ人数が増えて
 子供たちの奉納舞いが終わって 
 「おじさん(お寿司屋の)いつもありがとうございます。」の挨拶が終わるか終らない内に
 どこから湧いて来たのか すごい人で
 懸命に引張って来た連中をさておいて
 我も我もと 行列に加わって
 店主も苦笑いの光景が毎度毎度 展開される。

 到底予定分くらいでは収まらず 200食に迫る
 加減しながら配っても 最後はべそをかく子も現れる。



自店の自治体からは お金とは別にジェラートも御指名だ。
 最初は子供会からの要請だったが
 年ごとに 色々なPTAが現れて 
 寄付するのが当たり前のような 
 なんだか むなしいご寄付の展開にうんざりしていた。

 ご近所に老人施設が2箇所できた。
 そこでこちらから提案して
 子供たちが山車を曳いて行って
 そこで踊りでも歌でも 御老人たちの拍手をもらって 
 一緒にアイスでも食べながらの一時を過ごす。

 子供会にではなく 
 施設のおじいちゃん、おばあちゃんに ご寄付させてもらって
 歌や踊りの御褒美にアイスが子供たちに配られる という
 こうなれば どんな親が介在してこようが 腹もたたない。

 日頃から 世間から隔離されてしまったような環境にいる御老人たちにとって
 孫、ひ孫のようなチビさんたちが 訪問してくれるだけでも嬉しい
 その子たちの踊りを見て 一緒にアイスを食べるなんて
 それこそ お祭りならではの楽しみだ。

 どうやら 親たちもちゃっかり 御相伴らしいが 
 そこはそれ 多少は目をつぶろう。

 ハレの日に 水差しは野暮ったい。 

  

Posted by げんきくん at 15:31Comments(0)つれづれサロン

2011年10月05日

金木犀の香り2



御下賜金

 普通一般の人にはご縁の無い言葉ですね
 「ごかしきん」と読むのだそうですよ
 天皇陛下からのお金の賜り(たまわり)ものの事です。

可睡斎護国塔建立100年展に関わって
 護国塔の脇に建つ 石碑を読み解く過程で
 初めて意味と読み方を知りました。

護国塔を建てるには大変な資金が必要でした。
 発起人の一人 可睡斎第48世日置黙仙禅師をはじめ
 たくさんの当時の著名人が募金活動をするのですが
 最初はなかなか苦労したようです。

 ところが塔の建設の意義に感銘を受けた天皇陛下から
 御下賜金を賜ったことで 我も我もと
 賛同者が増え 建設が可能になったのです。

 神谷傳兵衛 村上太三郎 田 健治郎 馬越恭平 
 大倉喜八郎 大谷嘉兵衛 村山龍平 藤田傳三郎 
 鈴木藤三郎 岩井勝次郎 本山彦一 杉山義雄
 住友吉左衛門 横山久太郎 原田久吉 上野理一
 鴻池善右エ門 西有穆山 秋野孝道 久我通久・・・・

石碑に刻まれた近代歴史上の大人物が並んでいますが 
 何人位解説できますか?

 政治家あり軍人あり、僧侶あり、大富豪あり、新聞社主あり
 郷土の偉人や恩人も含まれています。 
 日本を動かし 現代の基礎を築いた大人物ばかりなのですが
 僕は恥ずかしながら 調べて初めて へえ~ というような・・・

 でもたいへんな作業でしたが(約250名ですからねえ)
 色々気付かせてもらって その苦労も良かったと感じています。


ちょっと前まで 皆ちょんまげ結って 刀ぶら下げて
 黒船に脅えていた時代に
 猛烈な勢いで新しい文化を学び 吸収し 改善して
 世界列強の仲間入りを果たし
 欧米からの侵略の危機を回避していた 立役者たちが
 間違いなくその時代に 生きていた事実を実感できたのです。

一つ間違えば 中国やインド、南方の島々のような悲しく苦しい歴史を
 この国が経験しなくてはいけなかった。

 その過程で 近隣の国々に大変な迷惑をかけてしまった事実は
 反省すべきと考えるが 食うか食われるかの熾烈な駆け引きが
 あの時代 世界中で繰り広げられていた事も事実なのだ。

戦争の話はともかく
 商人として 気付かされる逸話や人物に 
 この一件で巡り合えたのが嬉しい。


前の記述で 塾やスポーツジムに素直に向き合えない気持ちを紹介したが
 これらも一つの商品であると考えれば
 僕の思いこみの偏狭さにこそ 問題があると思われる。 


石碑の芳名には登場しないが
 関連人物の一人として興味を引く人物に出会った。
 企業人ならば この人の逸話の一つや二つ
 聞いて実践している人もいるのだろう。

浅野セメント 浅野財閥の祖 浅野総一郎がその人
 
 彼の感心する逸話は限りなく
 県立大の前坂俊介名誉教授や 商業界の倉本長治先生が 
 解り易く解説しているが
 一番 ずしりときた話を紹介します。


彼は24歳の時 商売に失敗して東京に夜逃げしてきたのです。
 裸一貫、無一文の彼は 生きるために何をすべきか世間を見まわした。

 暑い夏 お茶ノ水辺りで冷たい水を汲み 
 富裕層が暮らし始めた坂の上の新興住宅地あたりで
 大八車で重たい荷物を運ぶ人達に 
 「冷っこい水~、冷っこい水~」と呼びかけて
 ただの水を売って歩いて商売しはじめた。

 今でこそ 想像もつかない光景だが 
 当時自動車も 自販機も水道だって満足に普及していない時代に
 カラカラに乾いた喉を潤す冷たい水は
 喜ばれて飛ぶように売れたという。

 坂の下では ただの水でも 坂を登り切れば 
 欲しい人には喉から手が出そうなくらい貴重な商品になる。

 少し元手ができると 砂糖を少し入れて冷たい砂糖水にして
 さらに人気を呼ぶように工夫した。


商売の原点がここにある。
 タダ同然の物でも それを必要とする人に
 場所、時間、適正な価格、品質等を選んで提供すれば
 立派な商売が成立する。

 夏 飛ぶように売れた水も
 涼しい季節になれば ぱったり需要は減るだろう。
 総一郎は 次の一手をどんな場合でも用意して
 着実に成功者の道を登って行った。

 寒い冬に 人通りの少ない場所で ジェラートを売っている自分の
 間抜けな様を きっと総一郎は空の上から笑っているだろう。


だから学習塾が必要な人に
 こっちの水は甘いぞ~と 上手に売り込めば
 そんなもの要らないと思う人はともかく
 立派な商売が成り立って行くのだろうし

 バカバカしいと思う 偏屈な僕の様なのは相手にせず
 あんなところで タレントみたいにカッコ良く
 お洒落に汗を流したいと思う族にだけ照準を合わせ
 スポーツジムを運営すれば これも立派な商売が成立

必要でない人には 無用なものでも
 欲しいと思う人には 立派な商品に成ると
 浅野総一郎は 実践して成功してみせたわけだ。

変にこだわらず 柔軟にものごとを見て
 喜ばれるものを提供するのが 成功の秘訣なのだろう。

僕にはこの柔軟さが欠けているように思いはじめている。
 そしてもう一つ(実はもっとたくさんあるのだが・・)

総一郎は
 「運は寝て待てというのは嘘だ。
 運は水の上を流れているのだから命がけで飛び込んで つかむ度胸と、
 つかんだ運を育てる努力が無ければ運は我が身に宿らない。」 と 
 日頃から言っては 自ら実践していたそうです。

「度胸と努力」 含蓄のある総一郎翁のお言葉です。



石碑の 訳も判らない人物を コツコツ調べるなんて
 よっぽどの暇人がすることだし
 どんな意味があるんだと 
 自分の行動に疑いを持ちながら 仕事の合間や
 寝る前の僅かな時間を利用して始めた事だけれど
 やっぱりやってよかったと思う。
 チャレンジしなければ 気が付けないことが沢山ある。


 感動のきっかけを作ってくださった
 県書道連盟理事長の大谷青嵐先生にもたいへん感謝しています。

 先生たちが このとてつもない拓本作業にご尽力くださらなければ
 この作業は始まらなかったと思います。
 どんなに大変な作業だったか やはりこれも実体験してみなければ
 想像もつかない事でしょう。

 約2mの幅で5.4mの高さにそびえ立つ石碑に
 70歳を超す先生たちが 率先して昇って拓本録りする。

 真夏の暑い盛りの事でした。
 この石を覆う 和紙の大きさを想像してみてください。
 ちょっとした風が吹いても 雨に打たれても失敗です。

 蚊が頬や手に止まっていても 無抵抗
 汗が滴り落ちても 手が墨に染まっても 我慢我慢でした。 



 石碑を見上げながら(5.4mもある)
 250名もズラズラ並ぶ人名を読んでる暇人が
 100年後に現れるだろうなんて
 まさか 伊東忠太も想像してなかっただろう。

 自分でも自分を笑ってしまう。
  

Posted by げんきくん at 23:04Comments(0)つれづれサロン

2011年10月05日

金木犀の香り1



今年は10月に入ると同時に 金木犀が香りはじめた。
 このほんの短い 秋の刹那がたまらなく好きだ。

 宇宙の鼓動の片隅で
 地上の命の育みが 繰り返される。

金木犀は15号にも耐えたが
 後ろに見える ライラックは根こそぎ倒れた。

 危ないからこの際 切るように助言されたが
 なんだか惜しくて 身の丈ほどの杭を買ってきて
 力の限り打ち込み 補助杭として立て直してみた。

復活するかどうかは ダメでもともと
 暫く様子を見ることとする。

久しぶりの杭打ちは 体力と根気を養った。
 時々は こうして力の限りを出し尽くす作業が
 人間には必要なのかもしれない。
 
ジムに通って 汗を流す姿は
 一見 カッコいいように映るが
 実は 間抜けな現代人を投影していると思う。
 
 スポーツ選手や役者など
 体力や体型が資本の人たちならともかく
 
 バーチャル世界を浮遊することに慣れた現代人には
 さほど 抵抗のない自然な行動なのかもしれないが


学校には義務だから何気なく送り出し
 家に戻るやいなや 本気モードで 塾に送り迎え
 高い授業料払って 何を期待するのか
 情けない親の姿にも 
 どこか共通するエッセンスが含まれる様な気が・・・

 進学塾の周りの晩方 車の渋滞には閉口だ

 それが現実で 現実から逃げているとお叱りを受けるかもしれない。
 ただ現実の裏に潜む 本質を見抜かないと
 おかしな世の中に 流されていってしまいそうで怖い。


何度か話題に上げたが 今年は可睡斎護国塔建立100年ということで
 実行委員会を立ち上げ 1年間講座を開いて勉強し
 11月の1ヶ月間 展示会を開催する。

その一環で 護国塔の脇に建つ石碑の読み解きをすることとなり
 これには遠藤元県教育長と理工科大の沼倉教授が主になって
 たいへんな努力の末に 現代語訳を付けるに至った。

 100年前の石碑と言え 漢文で書かれており
 現在では使われなくなってしまった文字や語句が使われている。
 一部 石が欠け文字が判読不能になっているものを
 よくぞあそこまで 仕上げたと感心するばかり。

 その解読までの過程を僅かでも共有しているから
 どれだけ難解な作業だったかが認識できるが
 紙切れ一枚に出来上がってしまうと
 おそらく普通の人では ふう~んの一言で済んでしまう。


この石碑の裏には 建立にかかわった寄付者の名前も彫られている。
 まさかそれを 僕が調べる羽目に陥るとは 思ってもいなかったが
 事の成り行きで そんな役が巡ってきてしまった。

 およそ250名程の名前が刻まれているのだが
 大臣やら豪商やら大将やら 当時ならともかく
 100年も経った過去の人を 探し出すのは 
 気の遠くなる様な作業だった。

ただ 調べる過程で 江戸、明治から大正にかけての動乱期に
 たくましく生きた日本人の先達に出会えたことは貴重だった。

 そんな中から ふと今日の話題に沿うような話に出会ったので
 少しばかり 書いてみようかと思うのです。

 つづく  

Posted by げんきくん at 17:02Comments(2)つれづれサロン

2011年09月27日

伊東忠太ツアー3



















気がつけば 秋のお彼岸も過ぎて
 娘の誕生日も母の誕生日も越してきてしまった。

 本来この記事は9月19日に書いていた。
 そこへ 21日台風15号が猛威をふるい
 袋井では 死者まで出してしまった。


だから後に続く 京都ツアーの話は
 多少 間が抜けた風だが 少しばかり訂正して
 そのまま更新することにする。

 

京都 山崎の『聴竹居』は本当に素敵な住まいだった。
 80年以上前 こういう品のよい高センスの設計と施工がなされた事
 日本の風土、気候に合った建築を目指された事
 そうかと思えば 当時斬新だった オール電化設備の投入など
 訪ねる誰をも夢中にさせずにはおかない場所

聴竹居倶楽部代表の 松隈さんの表現を借りれば
 『日本で最初の 環境共生住宅』ということになる。


建築家と 職人気質 匠の心地好いせめぎ合いが随所に感じられる。


上の写真は 左右分かれていて 其々撮った角度も異なるのですが
なんと80数年前のシャワー装置なのです。 レトロ~

さらに下は?































氷を入れた冷蔵庫は見た事ありますが
 なんと コンプレッサー外付けの冷蔵庫
 右は 上に載ったコンプレッサーの拡大画像です。



何の変哲もない食器棚に見えます?
 現代では当たり前のように既製品として存在しますが
 食器棚は 台所と食堂 両方から使える両面使用の造り付けの棚なのです。
 お皿も椀も 調味料も不便なく使える優れもの これも80年前


 
シンク横のダスターシュートなんて 斬新でしょ

照明器具も 其々の部屋に合わせて
 一つ一つが匠の手作りで
 その繊細さに気付くと 唸ったままため息で固まってしまう。
 もの作りとは こういう域に達して初めて
 作者たちの鼓動が聞こえ 感動を呼び覚ます。


安心安全とか 大量生産低価格とか
 最近の庶民の目はどうしても そちらに向きがちになり
 テレビCMでも 工場でライン生産される大手メーカーのそれが
 誇らしげに幅を利かせる時代だが
 
こういう建築物に出会うと 工業化製品に埋め尽くされる身の回りを
 ふと 疑ってみなくてはいけない事に気づかされる。

建築物ばかりでなく 食品も衣料品も あらゆる日常品が
 精巧風にデザインされた 紛いものに浸食されつつあることに危惧を覚える。

大量生産 大量販売の最前線では より良いものではなく
 より安くたくさん売って 利益を生み出す手法が主流になり 
 製品の生産拠点はみな海外だ。

たとえば ホームセンターに出かけても 
 確かに安いが壊れるのも早い商品ばかりが ずらっと並んでいて
 ずっと大切に使いたい品物が
 どこかに追いやられてしまった感がある。

 ちょっと高いが良い物を揃えた商店は こういう大型店に淘汰され
 徐々に無くなってしまって
 品物を選ぶ権利が 消費者から奪われてしまった気がする。

 そもそも生産拠点を海外に移す戦略の結果
 日本の培ってきた良い物を作る風土が 踏みにじられ
 しまいには息の根を止められてしまって
 復活も危うい世の中に 誰かがしてしまったのだ。


大企業化した家具チェーンも たいへん失礼だが
 当初こそ 斬新な取り組みに感心したが
 ドアを開けた瞬間  
 息ができず 目がしょぼつく程の 塗装なのか防腐剤なのか
 複雑な空気に包まれて
 日本人の気配りを忘れてしまった 商売の最前線の在り様に
 複雑な気分に包まれてしまうのです。 



昨日 ドイツから留学中の青年と 数時間語り合った。
 彼は優秀で 東大に籍を置き 宗教の現場を体験から探りたくて可睡斎に来た。

 僕は外国語が 丸っきし駄目だが 一言一言 言葉を選びながら
 僕より堪能な日本語をあやつる 彼に合わせて この国の事を話し
 彼の国の話を 聴いた。

やはりその中で 僕たちの誇りは 目先の利益を追い求める風潮によって
 少しずつ 蝕まれている事に 気付かされる。

 第二次世界大戦で 同じく敗戦国となり
 ゼロ以下から再スタートを切った 二つの国が
 其々の 復興を果たし65年経ったが
 今後どのような 未来を孫子に伝えていけるのだろうか。
 基本となる思想を 教育の場で改めて問う事が必要なのだろう。
   

Posted by げんきくん at 18:42Comments(0)つれづれサロン